ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

歩く

 土曜日の朝。さすがに空気はきりりと冷たいけれど、とりあえず京都駅のバスターミナルに。市バスの5番に乗って京都会館・美術館前で降りればそれが平安神宮に最も近いと聞いてきた。ところがバスターミナルのどこからそのバスが出るのか、見当もつかない。ここのバスターミナルはとてつもなく広い。切符売り場・案内所があるのだけれど、それが見つからない。結局職員らしき制服を着ているおじさんに聞いて漸くわかった。
 何しろ清水に行くバスの停留所はとてつもなく長い人々の列ができていてごった返している。やっぱり人気はすごいんだなぁと改めて感心。私たちは予定とおりに下りたけれど、一緒に下りた若い人たちは図書館に入っていく。
 平安神宮明治20年代にできた神社だから歴史的に見ると全然大したことはないのだけれど、ここの庭は相当に広そう。ただし、この時期はどうせ見てもしょうがない状況だろうと、入らない。私がここに来たのはたぶん修学旅行以来のことで、見覚えはあるものの、広さだの周りの景色との関係なんてものはまったく覚えていない。右近の橘はヨシズで囲ってあるのは寒さ除けだろうか。
 大したことはないのだけれど、しらほらと霰の粒のようなものが舞ってくる。この日はこの後もチラホラしている。
 私たちの今日のメイン・イベントはこの後で、南禅寺に程近いところにあるある料理屋さんに伺う。京都市観光協会が主催でこの料理屋さんで14代目の当主が三つの料理のコツをお話くださるという大変に珍しいイベント。たまたま、さぁ京都に行こうと思って検索しているうちに見つけた行事で、これ幸いとあわてて申し込んだ次第。
 料理のコツをお話くださったのは鯛のあらと聖護院蕪の炊き合わせと、畑菜と油揚げの和え物。そして鯛の細作り昆布〆。たったこれだけなのに、実に丁寧な下ごしらえが施してあって驚くほどのことである。
 その後懐石をいただいたのだけれど、いやまぁ次から次にしっかりといただき、今日は一日中、次の食事が欲しいと思わないというくらいであった。


 この時期、知恩院が三門を公開しているというので、そちらに向かおうと料理屋の方に方向を伺い、歩き始め、気がつくと青蓮院の前を歩いていて、ここは昨年も歩いたところで、なんだ、こんなに近くだったのかと気が着いて驚いた。
 知恩院まで来ると毎度のことながら外国人がずいぶん上がってくる。昨年もずいぶんたくさんの外国人が上がっていったことを思い出す。三門には600円を払ってあがるが、まぁ、階段一段一段の高さが、高いことにはびっくりだ。しかも、その階段の踏み板は磨耗していて、まるで昔の丸ビルの階段のようだ。ここでも写真撮影は禁止だけれど、昨年の妙心寺の三門見物と同じように、そこから周りの景色の撮影も禁止である。この理由は一体どこにあるのか、不思議でしょうがない。
 三門内部ではガイドの方の説明が進行していた。ここにも何人かの外国人と思しき人々が座って黙ってその説明を聞いているけれど、お分かりだとはちょっと思えない。西の方向を見るとガスっている山が見える。ガイドの方のお話だとあれが愛宕山だという。京都市では比叡山を押さえて最も高い山。あれが落語の「愛宕山」の舞台だろうか。
 知恩院を一番上まで上がり、円山公園方向へ降りていくと、軒並み料理屋ばかりだ。今度は南隣の御廟を訪ねると、ここでも外国人の人たちが上がってきている。
 楽しみにしてきた長楽館で一休みする。昨年その珍しさと美味しさで大変に印象深かった金柑のタルトはさすがに早いのだろうかと思ったけれど、お店の方は理由は言われなかったけれど、今年はあれは作られないだろうといっていたのは残念だ。
 「そうだ、京都に行こう」キャンペーンの巽橋を見に行き、ミーでハーなことにここで写真。この時点で相当に草臥れていて、帰ろうという以外の言葉が口をつかない。高島屋で翌朝のためのパンを買い求め、バスで一気にホテルに帰る。