ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

情報

 ま、大した話じゃないけれど、情報の伝達手段というのは画期的に変わったわけ。なにしろ子どもの頃、手紙が相手先に届くのには少なくとも2-3日は掛かっていた。急ぐときは速達、あるいは電報だった。
 それが電話になった。うちはなんでなのか知らないが、気がついたときには電話はあったけれど、近所のうちの電話にもなっていた。何しろ住所を書くときには電話番号(自)とか(呼)とか書いたくらいだ。呼び出しって奴だ。多分うちは20件くらい集まっていた社宅の中の公衆電話代わりだったのではなかっただろうか。しょっちゅう人を呼びにいっていた。うちではどうだったのか知らないけれど、中には置いてある電話の横に小さな箱が置いてあって、そこに電話代と書かれているのを見た記憶もある。電話を借りに来た人がお金を入れる箱だ。そういえば公衆電話だって3分10円で切れたのはついこの前のことだ・・25年くらい前までそうだったような気がする。公衆電話で10円玉を数枚おいて長電話した記憶もある。そういえばあの頃は公衆電話が長いといって喧嘩になったなんて話は日常茶飯事だった。
 会社に入ったら商売のやりとりは国際郵便のやりとりだった。仕事の大半は手紙を書くことだったし、それを元に急ぐやりとりはテレックスだった。先輩に教えて貰って、テレックスが操れるようになったのは会社に入った翌年くらいだろうか。かつては電話のオペレーターと同じように、和文タイプや英文タイプ、テレックスの送信なんてことをやるのに、専門のオペレーターの女性が働いていた。
 多分、男の社員が自分でそうしたことまでこなすようになったのは私たちの頃からのようで、それまでの男性社員は原稿を書いて、そのまま「打っておいてね」といってすんでいたらしい。つまり私たちの頃からマルティプルな働き方を要求されてきていたのだろう。
 これが画期的な変化となったのはファクシミリの普及だ。これで一気に情報の伝達が迅速になり、めまぐるしくなった。それまでテレックスでは伝えられなかった図面での説明が一気にできるようになった。これはでかかった。大きな図面も、A4の大きさに分割して送り、むこうはそれを並べて見ることができるようになった。
 もはやこれ以上のスキルは要らない、もうこれで完璧だと思っていたところにインターネットなるものが広がってきた。しかし、そのためにはこれまでほとんど使う必要がなかった、しかも、そのためにはかなりな費用が掛かる機械を導入しなくてはならなかった。なにしろファックスはインフラストラクチャーとしてはそれまでに普及していた電話線さえあればそれほど高くない端末をおけば良い。しかも操作がまったく簡単だ。突っ込むだけ。
 しかし、インターネットを使って情報をやりとりするには大変高価な端末を導入する必要があるだけではなくて、キーボード操作が必要だし、若干の理屈を理解しておかなくてはならない。
 しかし、ハナからこのシステムの中で育った連中は簡単な操作から難しい操作へ頭を切り換える必要がない。最初からあるものは難しくない。今私は赤子が親のスマートフォンをいじるのを見て度肝を抜かすが、赤子にはこれしかないのだから、他の選択肢がない。
 その代わり、これがベースになった価値観でしかものを考えることができない。逆に私はあれこれあった上でのスマートフォン、という観点でしか、物事を考えることができない。
 この差は大きい。ドォ〜ッと流れてくる情報がどんな背景の元に流れてきているのか、を考えている余裕なんてものが存在しない状況の中で、反応している人たちと、その積み重ねのひとつひとつに大きな重みを感じている人たちとでは、流れてくる情報の意味が違って当たり前だ。
 しかし、この違いが致命的な相違を招いているとしたら、それはなかなか乗り越えようがない。