ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

多分こうして

 私がネットに繋げるとこんなことが起きるんだと初めて知ったのは多分1995年のことではなかったかと思う。外国へ仕事に行くことになって、富士通がやっていたニフティーに登録してその中のフォーラムで接点のあった皆さんにひとつひとつ教えて戴いて繋げるようになった。
 出先にもアクセスポイントがあったので、未知の土地で、そうした人たちに手をとり足を取り、教えて戴いたことが今から考えると非常に力になっていた。あの方達が私に無条件で情報を提供して下さっていたのだけれど、それがなかったら今の私はなかっただろう。こうした方たちからの援助を得られたということがそれまでの社会のあり方と決定的に異なっていたことが大きな意味を持つ。
 おかげでたった5人の、それまでファックスしか繋がっていなかった事務所に自費でパソコンを持ちこみ、これまた自費でプロバイダーと繋げて、東京とデーターをやりとりできるようにすることができた。当時、上司はパソコンのなんたるかが理解できなかったものだから、新人が持ちこんで来る機械を余計なものを事務所に持ちこむんだとしか理解できなかったようだ。それまでの事務所環境になんら不満を持っていなかった彼にそれを理解しろと云う方が無理だったといって良いのだろう。今彼がどうしているのかは興味深いところでもある。
 しかし、昨今の私の環境は当時の彼のことを笑うことができない。定期的にどこかに通うという生活から脱却してしまったし、ほぼ生活の95%位をわが家で過ごすという状況になってみると、家のハードがネットに繋がってさえいれば、私は何も不満がない。これが以前のように常に外にいて動き歩いているのであれば、当然の如く予定表を常にチェックできるようにして、資料を持ち歩き、必要とあらばそこに取り出して見せ、書くことがあれば書き込んで、家にあるハードでも同じレベルに常にしておきたいと思うだろう。かつては外にいる時は紙に書いて、家に帰るとそれを打ち込んでいたものだ。それが面倒で、吞んで帰ったりしたらすっかり忘れ、翌日アップされていなくてげんなりだった。
 それがいまだったら、モバイルギアを駆使してしまえばクラウド・コンピュティングやらなんやらで一気に解決である。自己wifi環境を持って歩いて、瞬時に解決である。
 しかし、今の私には必要がない。無用の長物である。そのためにわざわざ出掛けることになって身体に良いかもしれないからそうして見たら良いんだと思わないわけではないけれど、どんどん蓄えが目減りしていくことが眼に見えている。だからやらないでいる。一切触らないでいる。iPhoneiPadも持ったことがない。今持っているモバイル・ギアというのは携帯電話だけだし、これも殆ど受信(それすら滅多に出ない)と万歩計にしか使われていない。
 こうして私も世の中から取り残されていく。ある日気がついたら何も情報が入ってこないという日常になっている可能性は大いにある。なにしろテレビもこんなに受信者に負担をかけたくせにろくな番組はやっていないのだし、そのうち見なくなるだろう。新聞は嘘ばかり書いているから読まなくなる。電話にも出ない。そんな日常がすぐ目の前だ。