ほぼ足りてまだ欲 その先

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汽車

 そういえば自分が学生時代までは確かに東海道線を走る長距離鉄道は電気機関車が引っ張る列車だったから、それを「汽車」と呼んでも不思議はなかった。グリーンとオレンジの電車の編成を電車と呼ぶべきだったのだろうけれど、つい、汽車と呼んでいたような気がするなぁ。
 大阪から先、つまり山陽本線はいつ頃から電化されたのかなぁ。小学生の頃はまだ蒸気機関車が引っ張っていたような気がしないでもない。清水港湾線という、通称三保線はかなり先まで列車だったよなぁ。小学生の頃は蒸気機関車が引っ張っていた。最後はディーゼル機関車が引っ張っていたんだろうか。どうもその辺は記憶が曖昧だ。
 そういえば昨日のブラタモリをちらっと見たら、大阪でも川を1972年頃に埋めたといっていたけれど、オリンピックの関係でもないだろうに、なんで埋めたんだろう。そんなことをいったら、横浜の実家の下を流れていた川だって、オリンピックなんかになんの関係もなかったのに埋められちゃっていたなぁ。どうやらあのどぶ川は反町川と呼ばれていたらしい。横浜・反町・昔の川で検索したら一発でそんなことを書いている人のサイトに遭遇。今時は本当に凄いなぁ。この川の上流、三ツ沢のガーデン山に登る坂道のちょっと上あたりに染め物工場があった。だから、しょっちゅういろいろな色の水が流れてきていた。
 そんな記事を探していたら、今度は京浜急行の前身にも「反町」という駅が存在していたことを書いている人がいて、思わず「へぇ〜!」と声が出た。(こちら)。東横線の東白楽と反町の間、それから反町と横浜の間にも駅があったのは知っていたけれど、こっちは知らなかったなぁ。