ほぼ足りてまだ欲 その先

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興味

 会社勤めというものは自分が興味を持てるか、自分という人間を生かせることができるか、そのどちらかであれば、もうすでにいうことはなくて、私のような単純な人間は全霊を込めて突き進んでしまう。いわゆる萌えてしまう、というやつだ。単純だから燃え出すとどんどんいこうとする。それが問題で家族を振り返らなくなりやすい。多くの人がそれで失敗する。私は幸いにしてそうなった期間はそれ程ながくはなかった。つまりどういうことかというと、それほど燃える仕事に遭遇した期間が長くはないということだ。しかし、その長くない期間中、私は何をしていたのかというと、造船所にいた最初の5年間。そして企業広報をやっていた3年半の間、つまり合計してたったの8年半に過ぎない。一番つまらなかったのは、お呼びでない仕事の担当だったときなのだけれど、それは残りの大半にあたる。ま、ここまで書いてくるといつでも不満を抱いているタイプっていうことになりそうだ。ま、結果的にそうなるかなぁ。
 残りの大半は、使えない人間だという判断であったが故に毒にも薬にもならないセクションに追いやったということだろう。海外事業から撤退するんだと宣言しちゃったのだけれど、今と違って、直ちに人材を右から左に処分ができない時代だった。その点では非常に恵まれていたということだけれど、逆にいうと人生設計からいったら当たり前のことだっただろう。当時アメリカでは職場に入ってきた順番が後のものから順にレイ・オフをして良い、ということになっていた。しかし、次に労働力が必要になった時には彼らから優先的に採用しなくてはならなかった。だから不必要な労働者を追い払って新たな人材と置き換えることはすぐにはできなかった。日本の労働現場はそれすらできなかった。それをやったら労働基準法にも触れたが、労働者の会社に対するロヤリティーは失われると思われていた。
 さて、今はどうか。ロヤリティーって一体何!?状態である。労働者も雇用者もそんなものをもはや知らない。好不況に関係なく、縛られる間柄である必要はないと思われている、と思わされている。安く雇い、何の厄介もなく、雇用、解雇ができる。これで仕事に興味が持てるか?自分という人間を生かせるのか。もはやそんなことは考えなくてもいいのか。