方言について書いている人が、東京の北部には北から入ってきた方言の影響が見て取れるといっている人がいる。「いってしまった」→「いっちまった」は福島弁の影響だというのである。それが正しいか、そうでないかは別として、東京の北部、荒川区、足立区が北日本の方言に満ち溢れていたことは事実だ。しかし、それはただ単に地理的に北の言語が伝播的に南下したというわけではない。
これにはやっぱり高度経済成長期における労働力の大移動が大きく寄与しているというべきだろう。当時上京してきた中学を卒業したばかりの男子も女子も、大挙して上野に到着し、就職先というか、奉公先のご主人や番頭さんが出迎えに来る様子をニュース映画では必ず上映されてきた。彼らのほとんどは住み込み就職だった。女子の多くは昔から東京のお金持ちのおたくで住み込みの女中さんだったし、男子はそれこそ「三丁目の夕日」じゃないが各地の商店に住み込んでいた。
それから彼らの多くは年齢を経て、墨田区、荒川区、足立区、北区、葛飾区という城北地域にその居を求めていった。今はもうほとんど終わってしまったけれど、TBSラジオで毒蝮三太夫がやっていた「ミュージック・プレゼント」で毎日訪ねて行く先には必ず北の訛り丸出しの爺さん、婆さんが登場していたものだった。その度に、あぁ、東京というのは本当に田舎の寄り集まりなんだなぁと思った。