ほぼ足りてまだ欲 その先

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Gone With The Wind

 あの、映画でございますよ。私があれを見たのは中学三年生を終わろうとしている春です。多分1961-2年のことではないでしょうか。高校の入学試験も終わり、進学先が決まり、なんだか、脱力感と挫折感と敗北感にさいなまれていた晴天の日でしたよ。学校からみんなで歩いて、大森の山王口にあった映画館に行ってこの長大な映画を見たのです。あの画面と、あの音楽にさぞかし感銘を受けたのだろうと今になって思いますが、そうでもなかったのです。それはあの挫折感がなせる技だったのかも知れませんね。
 あの映画が制作されたのは1939年で、公開されたのはその年の12月だといいます。3時間42分というカラー映画です。当時の言い方でいったら「総天然色」ですね。真珠湾攻撃が1941年12月8日と思うと、あの時期に良くもまぁ、こんな映画を作ったもんだと、茫然と致しますねぇ。1939年の日本はといったら、「金製品回収・強制買い上げ」「招魂社を護国神社に改称」「米穀配給統制令法」「国民徴用令」「ノモンハン事件」「価格等統制令、地代家賃統制令」「木炭が統制品となり、配給制」「白米禁止令」なんて具合でもうまさに戦時体制そのものというか、まさに日中15年戦争のまっただ中です。
 鶴見俊輔はこの映画を海軍軍属となって派遣されていたシンガポールで見たと書いています。彼は開戦時に交換船で帰国したわけですから、当然の如く、日本と米国との力の差はイヤというほどわかっていたわけで、敗戦時にその場にいるという立場を自分はとりたいという気持ちで交換船に乗ったといっています。
 しかし、日本での初公開は戦後の1952年まで待たなくてはなりませんでした。私が見たのはそれからもう10年も経っていたわけで、それでも圧倒されたんですから、鶴見俊輔の気持ちをそれで推し量らなくてはなりませぬ。この差(つまり、日本から見た、米国の巨大さ加減)はどうしても今の人たちには理解しては貰えないところでしょうねぇ。それは誰が悪いわけでもないのであって、致し方のないところです。

日米交換船

日米交換船