ほぼ足りてまだ欲 その先

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通夜

 つれ合いの母親の姉、つまりつれ合いのおばさん、が103歳直前で亡くなった。それでその通夜がありました。おばさんはつれ合いを終戦直前のサイパンで亡くし、それ以降三人の子どもを育ててきました。書道用品や文具を扱う店を興したものの働き手を亡くしたので、弟夫婦(うちのつれ合いの両親)がこれを引き継ぎ、大きくして、二つの家族が一緒になってこの店をやってきたようなものだから、親戚が結構周りにいた。
 私たちが結婚する前は昔の店だから、店で働いている人たちも親戚筋からやってきている人たちで、そのほとんどが狭い店に住み込んでいたというんだから驚く。夕食は二つのテーブルで食べていたらしい。私も結婚直前にこの家のすき焼きの夕食に与ったことがあるけれど、二つのちゃぶ台にそれぞれ焙烙で作ったすき焼きが運ばれるやいなや、あちこちから箸が延びてきて、あっという間にその半分くらいが焙烙から消えるのを体験したことがある。
 晩年は近所の集合住宅に暮らしていたおばさんも90歳を超えても店に出てきて手伝っていた。それがおばさんの長寿の秘訣だった。良く山梨弁丸出しで「だけんさぁ、若い人っちがみんなやっちまって、なかなかやることがねぇんだよぉ」といっていた。今はもう跡継ぎがいなくて閉店してしまった近所の小さな寿司屋に行ってはちらし寿司をおごったり、おごられたりしたのも良い思い出だ。
 長男のところに娘が二人、長女のところに一女三男。次男のところに一男一女。都合6人の孫にひ孫がどれほどいるのか、よく知らない。久しぶりにお清めの席で出会って、あれは誰で、これは誰、と今更ながらの確認である。
 親戚関係だけで見送ろうと思ったらしいけれど、本人の趣味のつながりや、最後はやっかいになっていた長男の家のご近所さんがいるからと、そうした人たちも集まってこられたけれど、最後のお清めの場所は、もはや通夜のお清めというよりも、親戚のみんなの確認会みたいになっていた。それが本人が一番喜ぶところだろう。なにせ、これだけの親戚が集まったのは本人の白寿の祝いの宴席以来だから。
 そういわれてみればわが家の親戚筋とももうほとんど行き来がない。母親の実家も早くして死んでしまったたった一人の従兄弟の嫁さんと子どもたちはわかっているけれど、それも年に一度の年賀状と、夏の電話だけになった。父親の実家とはずいぶん歳上の従兄弟が死んで以来、全くつながりがなくなった。