ほぼ足りてまだ欲 その先

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物議を醸す

「この国のかたち 3人の論者に聞く 中日新聞2017/2/11」

◆平等に貧しくなろう 社会学者・東京大名誉教授 上野千鶴子さん
 日本は今、転機だと思います。最大の要因は人口構造の変化です。安倍(晋三)さんは人口一億人規模の維持、希望出生率1.8の実現を言いますが、社会学的にみるとあらゆるエビデンス(証拠)がそれは不可能と告げています。
 人口を維持する方法は二つあります。一つは自然増で、もう一つは社会増。自然増はもう見込めません。泣いてもわめいても子どもは増えません。人口を維持するには社会増しかない、つまり移民の受け入れです。
 日本はこの先どうするのか。移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。どちらかを選ぶ分岐点に立たされています。
 移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。
客観的には、日本は労働開国にかじを切ろうとしたさなかに世界的な排外主義の波にぶつかってしまった。大量の移民の受け入れなど不可能です。
 主観的な観測としては、移民は日本にとってツケが大き過ぎる。トランプ米大統領は「アメリカ・ファースト」と言いましたが、日本は「ニッポン・オンリー」の国。単一民族神話が信じられてきた。日本人は多文化共生に耐えられないでしょう。
 だとしたら、日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。一億人維持とか、国内総生産GDP)六百兆円とかの妄想は捨てて、現実に向き合う。ただ、上り坂より下り坂は難しい。どう犠牲者を出さずに軟着陸するか。日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。ところが、日本には本当の社会民主政党がない。
 日本の希望はNPOなどの「協」セクターにあると思っています。NPOはさまざまな分野で問題解決の事業モデルをつくってきました。私は「制度を動かすのは人」が持論ですが、人材が育ってきています。
 「国のかたち」を問う憲法改正論議についても、私はあまり心配していない。国会前のデモを通じて立憲主義の理解が広がりました。日本の市民社会はそれだけの厚みを持ってきています。(聞き手・大森雅弥)

 この上野千鶴子の発言が今大きな論議を呼んでいます。上野千鶴子といえばまさに女性解放運動の旗手でございます。それが排外主義を主張していると捉えられているということなのですが、どうも私にはそうは思えないのです。寧ろ、皮肉を交えて日頃私が主張しているところに近いのではないかと思っております。これは長い話になるので、ゆっくり語りたいと思います。
 出かける間際でこの記事をアップしたので、書きたいことを書く時間がありませんでした。
 実は、私のこれまでの意見は上野千鶴子とまさにぴったりなのです。本来的に私は世界的な人々の移動に対して、グローバルにその流動性は支援されなくてはならないという思想を持っていました。20年ほど前からこの観点を持っていましたので、その種の各界の方々の意見を書籍やネットで聞いてきました。
 だから、日本政府の外国人の受け入れに関しては「労働者としての外国人の受け入れ」には大きく反対していました。そりゃおかしいじゃないか、という反応があってもおかしくはありませんが、「労働者」として、というところに反対してきたのです。移動してくる「人間」として受け入れるべきだという考えです。どこが違うのかといったら、「労働者」として受け入れるというのは、労働するもののみを受け入れるということです。それがなにを意味するのかといったら、労働することができなくなったら「用なし」だということなのです。人が動いてくるということは人の生活をすべて受け入れるということです。つまり、外国人としてではなく、同じ日本人という、ここで生まれ、ここで育った人間と同じように取り扱い、つきあい、助け合うということです。
 それが今のこの日本という風土の中で本当に実現をすることができるのかといったら、私にはそれを保証することができないということなのです。なぜなら、終戦までの間の宗主国と植民地との関係がある、あるいは侵略した、されたという関係があるにせよ、韓国、台湾、中国の人たちとであっても、これだけ上手く共生することができずにここまで来てしまっていることがあります。
 今、日本には、それらの国出身の人たち以外に、数多くの国々からやってきて暮らしている人たちが思いもよらないところにで働いていて、暮らしています。確かにあのバブル期間を過ぎてから驚くほど外国人の人たちがいます。しかし、それは欧州の各国と比べたら、てんで話にならない程度でしかないわけです。例えばベルギーという国は、コンゴという植民地があったこともありますが、国民の半分以上が外国生まれ、およびその子孫たちです。もし日本がそんな状況に突然なったら、上手くやっていけるという自信をお持ちの方がおられるとはとても思えない。より収入の少ない職種に外国人の人たちが張り付くという状況は今からでも十分想像がつきます。
 国内の市場を保たせるために、彼らの移民としての流入を受け入れるんだとしたら、必ず問題が起きて後悔するときが来るのは第二次世界大戦後に様々な手段を弄した先進各国の事例を見聞するとおおよそ見当がつきます。
 それを上野千鶴子は言葉少なに表現したと推測しているのです。