ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

また

 昨日は一昨日に続いて呑み。ブログかけない。

 さて、慰安婦の問題だけれど、徹底的な証人、証拠がないんだから認めないというスタンスがある。刑事裁判をやっているのであればそれで良いだろう。なにも悪くない、悪いというんだったら証拠を持ってこい、と。従って棄却だと。
 本人がこういう生活を強いられた、勘弁ならない、許せない、悔しい、謝ってもらいたい、といっているけれど、その人が嘘を言っているかも知れない、それは言いがかりかも知れない、だから相手にしない。しかし、気の毒だから、ここに金があるからそれをあげるから、今後そんなことをいってこないでね、といってお情けを施した。
 それなのに、嫌みな銅像を造ってこれ見よがしに立てているというのは生意気だ。
 今、ここです。
 この銅像は韓国内と、米国にある。米国議会ではずいぶん韓国のロビー工作が功を奏していて、支持の声がある。
 なんで韓国民がなんの縁もゆかりもない米国内にその銅像を建てているのか。彼らは見抜いている。日本という国が米国の指示下にあって、米国がその気になったらいうことを聴かざるを得なくなるということだ。
 だから米国内にいるロビーイストは如何に日本が理不尽な対応をしているのかをキャンペーンしている。それはまるで中国から排除されている法輪功のキャンペーンのようだ。
 韓国にとって米国は救世主だ。太平洋戦争で、日本の植民地だった朝鮮半島を解放してくれ、朝鮮戦争でもはや土俵の徳俵まで追い詰められた戦況をものの見事に挽回したのは米国軍の力に他ならない。
 2015年にワシントンD.C.リンカーン記念館前にいくつものパネルを立て、看板を立てている人たちがいて、何事ならんと見やると、それはKorean Americanの人たちが「朝鮮戦争で助けてくれたアメリカ、ありがとう」キャンペーンをやっているところだった。この辺の感覚は日本では理解できない。彼らは多分日本よりも米国にとって政治的に重要なポジションにいると自負しているのではないだろうか。
 では強制的に慰安婦にされてしまった人たちは本当にいるのか。朝日新聞の吉田証言削除によって、それはあたかも全く否定されたかのようにいう人たちがいる。それはただひとつの証言が否定されたに過ぎない。本人達の証言もさることながら、実際にはあちこちにその片鱗は当然の如くに残されてきた。それは各従軍者達の記憶の中だったり、「ピー屋」と呼んでその実態を放言した人たちがいることでも類推できる。自分の同胞や、親戚や親の世代でそれを経験した人たちがいる頃が類推できても、それを肯定する度胸はなかなか容易ではないし、あとからどんなにいわゆる「炎上」してしまうかも知れないわけで、意見を表明したりできない。
 戦争は人の感覚を麻痺させる。すさんだ状況に陥ると人はかつての自分が思いもしなかった思考をとり、思いもしなかった行動をする。それはその人の人間性を破壊する。だからといって、そんな戦争中だったのだからといって、しょうがないでは済まないということだと思う。それをいつまでも「知らぬ」「存ぜぬ」といって否定しながら、お情けを施して済まそうとしてきたことに遠因があるのではないだろうか。