1953年に大統領の恩赦によって帰国したフィリピンでB・C級戦犯として服役していた人たちのうち、日本で釈放となった人たちは、横浜で上陸すると、東横線の反町にあった「社会福祉会館」に向かい、そこで説明を受けたと本に書いてあった。
- 作者: 永井均
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/04/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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幼稚園を卒園したときにもらった卒園証書をくるくると丸めて手にしたまま、滑り台の上に登って記念写真を撮った記憶がある。おふくろが編んだのか、近所のおばさんに頼んで編んで貰ったのか、確か鹿の編み込みがある茶色いセーターを着ていた。新しい毛糸で編んだセーターは新品の匂いがした。当時、毛糸は古いセーターをほどいて、アルミのやかんのようなものに通してまっすぐにして編み直していた。今時のネット環境は素晴らしく検索したら、この道具を「湯のし器」と呼ぶのだということが判明。当時、機械編みというのが流行って、近所のそのおばさんは内職でセーター編みを請け負っていたようだった。
今上天皇が英国のエリザベス二世の戴冠式に出席する為に訪英したが、横浜から出港したのが1953年3月30日だという。この時私はその車列を見送る為に自作した割り箸にのり付けした日の丸を持って、青木橋の傍の国道に立っていたことを覚えている。車列はなかなか来なかった。たくさんの子ども達が並んでいたのだけれど、あれは多分姉たちが学校から動員されていったのだろう。今から考えてみるとまるでまだ戦中のことのようではないか。