ほぼ足りてまだ欲 その先

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西田幾多郎

 私が以前からフォローして時々集中して読みにいっている方がブログにかつて新潮社が出していた季刊誌「考える人」について書いている。2012年夏号で創刊10周年と記してある41号だ。
 山田太一が連載していた「月日の残像」の第31回。新制中学の二年生の時に、山田少年は先生に「西田幾多郎の本を読んでみたいんだけど」と相談したという。
 すると先生は「西田はイクタローじゃなくてキタローっていうんだ。それはダメだ、お前には歯が立たない。」といったそうだ。そして「絶対矛盾的自己同一ってわかるか、哲学なんて読むな。小説を読め、小説を」といったんだという。
 ここで私はこう思うのだ。今だったら、その中学二年生の、インテリぶった少年は早速「絶対矛盾的自己同一」をネットで検索する。するといきなり西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」が青空文庫で読めちゃうのだ。
 いやはや倖せなのか、そうでないのか、このあまりの格差の大きさに目が眩む思いだ。情報が多すぎるというのはこういうことをいうのかも知れない。時間の割に入ってくる情報量があまりにも大きすぎて、こなれないうちに次に行かなくてはならなくなって、あっぷあっぷしてしまうのではないのか。