ほぼ足りてまだ欲 その先

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元号

f:id:nsw2072:20190402223833j:plain:w240:left 元号のことはもうさんざんあちこちで書かれているから書くのはよそうと思ったのだけれど、思いだしたことが一つ。日本に暮らして、日本の事象だけに関心を持って暮らしているのであればまだしも、外国に行くことが結構あって、外国の事象に関心があって気にしている、あるいは仕事で絡んでいたりすると、当然元号では話が通じないんだから、とっぱずして思考する必要がある。ところが子どもの頃からずっと元号で育ってきたから、これの切り替えがかなり問題になる。

 君のご両親は何年生まれなの?と聞かれたらすぐさま応えることが出来ない。明治44年大正6年の生まれだとは知っていても、それが西暦何年なのか、瞬時には答えられない。歴史については特にだめで、昭和に入ってからは25を足せば良いから結構楽だけれど、その前が西暦でわからない。その気になって自分の中で常に機転を覚えておかないと処理が出来ない。

 豪州に住み始めたときに、車の免許は日本の免許証があれば、その日本語訳を付けて申請すれば良いといわれ、公的に認められたところへ日本語翻訳を造って貰いに出す。ところが日本人がやるなら元号がすぐにわかるけれど、そうでないと、有効期限の元号表記が誤解を招きやすいんだとむかしの人がいっていたのを思い出す。元号表記なるものを理解して貰うのは難しい。解説をしても、明治以来は天皇一代一元号だけれど、その前はそうじゃないから、その法則はどうなっているのか?と突っ込まれると応えようがない。
 この辺は非常に面白い。法則性が時によって変わってくるってのがわが文化の特徴なんだよ、と切り返してやる。