ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

f:id:nsw2072:20200525144727j:plain:w360:left 戦争というのは誰が誰のためにするのか。かなりな直球玉だ。

 保険会社は宣戦布告されないと、それを戦争と認めて補償しないというような条項があったような気がするが、これまで宣戦布告されなかったけれど、戦争になっているものはそこら中にある。今だって、シリアではほぼ戦争状態だけれど、これは為政者が反政府勢力を弾圧するためにやっているのであり、リビアでは中央独裁政権が倒されてから、天下取りのむごい闘いになっているけれど、これは戦争ではないということになるのか。その代わりに「内戦」であっても補填されるように「特約」をつけておかなくてはならないのか。

 すると、日本が宣戦布告をする前に攻め込んだ真珠湾攻撃も、あれも「戦争」ではないということになるのか。
 死ぬのは、COVID-19と同様、ひとりひとりの人間だけれども、「戦争」だとあり得る「死」であって、COVID-19だとあり得るべきではなかった「死」なのだろうか。しかし、政府のとらえ方は「死-1」でしかない。「意外と少ない」「死-1」でしかない。「あぁ、なんということなのか、なんでなのか!」と捉えられる「死-1」ではない。「昨日発表された」「死-1」に過ぎない。

 「死-1」は為政者がどう捉えるのかによって、大きく意味合いが違ってくる。The New York Timesは今度のCOVID-19でなくなった人たちの名前を全員紙面に掲載したそうだ。New YorkのあのWorld Trade Centerの跡地に行くと、御影石で作った四角い池のまわりに犠牲者全員の名前が刻んであり、沖縄でも、犠牲者の名前が刻んである。
 東條英機内閣が始めたあの戦争の犠牲者の名前はどこかに刻んであるのか?3月10日に亡くなった人たちの名前はどうか。遠くの南太平洋の海辺で死んでしまい、半分海岸の砂に埋もれたままだったあの兵隊の名前は誰が覚えてくれているんだろうか。
 「ご冥福を」どのような気持ちで「お祈りする」のだろうか。それが「そういうものだから」そうしているんだと思うと、嘘くさい。
 「死んじゃうんだよ、苦しんで!」検査しろよ!