ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

雨 涼

 朝からどんよりと曇っていて、日の出時刻になっても、全く太陽が見えなかった。そのおかげで、温度が上がることがなくて、過ごしやすかった。
 だから、早朝散歩はいつもにくらべたら、距離が伸びた。四方八方に歩き出す考えはあるのだけれど、どうしても川に向かって歩き出すことが多くなる。しかも、普通の時は信号にしたがって歩くから、だんだん歩いていても同じ経路を辿ることになってしまうものだからマンネリ化する。今朝は思い切って横断禁止の看板が出ている大通りを、全く無視して渡ってみた。すると、見慣れない店ができていた。一本裏の通りにあったはずの店の名前が出ている。移ってきたらしい。
 日頃通らない路地に入ったものだから、見たこともない平屋の古い日本家屋に遭遇した。失礼なガラコの手の家を見ると写真にしたくなる。多分早晩なくなってしまうような気がするからだけれど、その家に気を取られて角を曲がり、その先にいくと、お陽様がでていないせいもあるのだけれど、自分がどっちに向いているのか,ふと迷う。いつもの経路であれば、見慣れた建物で判別がつくのだけれど。その瞬間、あ、認知症になったら、こんな感じで自分がどこにいるのかわからなくなってしまうのかも知れないなと思う。それでもこの辺はどうせ碁盤の目のような通りになっているんだから、そのまま進めばどこか見覚えのある通りに出る。これがクネクネした道ばかりの世田谷区の奥とか、足立区の一部のようだったらどこへ行くかわからないんだろう。
 早朝は鳥たちも比較的のんびりしていて雀たちは歩道にチュンチュンしているし、ムクドリも平然と餌を食む。目の前の階段を公園へ降りていったムクドリがなにかを加えているので、一体何だろうと思ってズームで引き寄せてみると、なんとセミだった。呑み込むには大きいらしくて、ついばんでいる。セミを食うのかと驚いた。この時期セミが死んでいるのを良く見るが必ず裏返っている。錦糸町に住む息子がいうには、公園の木に登ってくるセミの幼虫を片っ端から集めている人がいるそうだ。いったいそれをどうするんだろう。
 それにしても早朝歩いていると、ジョギングの人も、そして夫婦で一緒に歩いている人たちの中にも、犬を連れて集まっている人たちの中にも、マスクをしていない、あるいは鼻を出している人が大変多いことに驚く。日曜日の朝は平日に比べて、人が増える場所は限られているのだけれど、下手をするとすれ違う人の半分くらいがマスクをしていなかったりする。朝早くてそれほど人に逢うことはないだろうという考えもあるのかも知れない。それもまったくなにも考えていない雰囲気、つまりCOVID-19が全然考えられない時期と同じような気分でいるんだろうなと思える。そんなに気になるなら出てこなければ良いじゃないか、という意見もあるだろう。
 なぁにCOVID-19なにするものぞ、そんなものは大したことがないんだ、というのであればそれはそれで良い。それで良いが、マスクをなぜやろうという動きがあるのかは知るべきだろう。それは自分がウィルスを抱えていたら、ばらまきながら歩かないためだ。毎朝PCR検査をやって陰性だとわかったというのであれば、マスクなしでジョギングでもなんでもやったら良いだろうが、そうではない。
 テレビのニュースで高校生のブラスバンドが演奏会に参加したという。ひとりひとりをシールドで区切って演奏かと思ったら、全くいつものようにステージで演奏している。トランペット、トロンボーン、ホルン、チューバ、金管は確実に唾液が管内に溜まる。それを下に雑巾を置いて、時々出す。普通の時はそれが当たり前だ。ウィルス感染者がひとりでもいたら、あっという間に拡散する。
 「Go To」なんてものを平気でやっているんだから、そんなの関係ねぇだろう、という雰囲気が充ち満ちているんだけれど、私はあまりにも危機感を放りっぱなしにしているような気がする。

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