ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

日系二世

f:id:nsw2072:20201228191136j:plain:w360:left 森山良子の父親、森山久は日系二世としてサンフランシスコに生まれている。そんな話を2016年2月5日に放送されたNHKのファミリー・ヒストリーは詳細に伝えていたそうだ。私はこの番組を見ていないけれど、録画しておられた方がいて、見せて貰う機会があった。
 そもそもアメリカへ渡ったのは森山良子の祖父にあたる森山三郎で、父親の仕事であった写真の仕事を手にしてサンフランシスコに移住した。北アイルランドから移民してきていた写真家のもとで修業をし、大地震の時の写真を助手として撮影していた。そして二日本人街に写真館を出した。三郎は第一次世界大戦の時に、41歳で米軍に志願をしたくらいで、米国で骨を埋めるつもり。次男である久はストックトンにあるパシフィック大に入学するが、大恐慌の煽りを受けて中退のやむなきに至る。1934年にジャズが流行していた日本に渡る。米国生まれで米国籍の久は日本国籍を取る。ここが東京ローズのアイバ・戸栗と違っていて、彼女は最後まで米国籍を死守し、その結果「国家反逆罪」に問われることになる。1942年、南方慰問団のトランペッターとして従軍。帰国後、久は、アイバと同様、ラジオ・トウキョウのゼロアワーで演奏していたけれど、日本国籍者だったから、戦後はなんの問題も生じない。アイバ・戸栗の裁判で、彼は証人のひとりとして、自分が生まれたサンフランシスコへ行っているがほとんど決定的な証言はしていない。戦後は占領軍の将校クラブにバンドとして出演。米軍将校たちはこのバンドのレベルの高さに驚いたという話が残っている。彼もまた同じように多くの言葉を娘には残していないようだ。
 森山良子(1948年生まれ)には兄がいたそうだけれど、なんと1971年に21歳で急死しているという。生きていたら私とほぼ同年齢だ。
 この番組の前に、もうずいぶん前になるんだけれど、森山良子がサンフランシスコで日本人街を歩くシーンが放送されたのが記憶にある。
 私があの日本人街に足を踏み入れたのは、1970年のことで、日系のスーパーマーケットで買い物をしたときに、キャッシャーの機械が売上金額と、受け取った現金金額をセットすると、自動的におつりの金額の小銭を出すのに驚いたことが未だに記憶に残っているんだけれど、その時私は、あぁ、米国人労働者は暗算なんてできないんだろうな、と思ったものだ。それが今じゃ、どこへ行ってもそんなの当たり前になっている。そういえばあれ以来、サンフランシスコの日本人街に行ったことがない。