ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

とうとう

 6月になってしまいましたねぇ。オリンピック騒ぎでまともな地に足のついた政治が行われていませんねぇ。

 延滞となってしまった本を二冊、図書館にお返しして、西隣の図書館に予約したCDを返却に行きました。ここの図書館の凄いのはBOXになっているCDを一枚というカウントで貸し出していることです。先日も落語をこれで入手しましたが、今回は古いイタリアのテノール歌手の6枚組みです。少なくとも、わが区の図書館ではこの種を持っていませんね。

 一冊借りだした本はもう既に他界されてしまった著者のものですが、フィリピンにおける旧日本軍の虐殺事件を追いかけたものです。本当にむちゃくちゃな虐殺事件がいくつも発生していたことを私はほとんど知りませんでした。マニラは一度日本軍が米軍を追い出しましたけれど、マッカーサーが例の「I shall return」といって豪州へ引き下がったわけですが、その言葉通りに戻ってきました。その間、日本軍は占領していたわけですが、かなり地元民に居丈高に振る舞っただけでなく、なにしろ当時の日本軍は兵站を全く考えず、現地で調達、すなわち略奪したわけですから、占領した全てのアジア各国でこうした恨みを買ったわけです。撤退直前に現地のゲリラを掃討するんだといって大量虐殺をしたものだから、敗戦後、しっぺ返しを喰らいます。
 南太平洋の諸島でも、日本軍は現地を撤退、逃げ出す時に、現地の人たちがスパイになるといって虐殺しています。これは沖縄でも行われたことが明らかになっています。現地の恨みを買わないわけがない。そうした虐殺行為は戦後になって日本ではうやむやになりました。そりゃもちろん実行した人たちは口にするわけがありません。証人がいなくなるのを待ち、そして今や正にそうなって来つつあるわけです。こうした記録が残ってようやくかすかに記憶していると云って良いでしょう。それすら、もう証人がいないから「事実ではない」と平気で否定する輩を歴史修正主義というわけです。

 ところで、ソ連が8月初旬に満州に押し入ってきた時、知る限りでは日本人から強奪し、婦女子に口にできないほどの陵辱を致しました。あの時、ソ連兵には中国人と日本人の区別がついたのだろうか、中国人の中にも犠牲となった人たちがいたのではないのか、という疑問があります。

 今夜のBSTBS「報道1930」では日本橋酒類問屋の社長がでてきて、これでは商売があがったりだ、早くワクチン接種を完了して、自由に呑めるようにしてくれといっていました。
 これはちょっと違うような気がしましてねぇ。するべきは徹底したPCR検査をし続ける「ロックダウン」でしょう。これをやらない限り、いつまでもダラダラと感染は拡大します。ワクチンが100%の国民に行き渡るということは実際にはあり得ないことで、確実に感染は止まりません。その状態で、市中の居酒屋の営業を全く元に戻したら、確実に感染は拡大します。なぜなら、酔っ払ってもマスクをつけて黙って呑んでいるなんてことは全く考えられないからです。

 それにしても、大坂なおみ選手がそんなに苦しんでいたとは思いもしませんでしたねぇ。現役をいったん退いて、ゆっくりすることに反対する人は誰もいないことだと思います。それによって彼女の気持ちが少しでも楽になることを心から望みます。

 古今亭志ん朝が最晩年は歯の具合に難儀をしていたと聞いて驚きました。