ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

日系米国人

 今日のZOOMによる勉強会は米国における日本人及び日系米国人の戦争中における強制収容についてだった。
この件に関しては探そうとすると、止めどないほどの資料が掘り出されてくる。

同じくらいの年代の方がかつての修士論文から始まって連続的に仕事の合間に続けてこられた研究の成果をレポートして下さった。
それをサポートされるのはかつて女子大で教鞭を執っておられた方だった。
数々の研究論文著作がある女性で、その分野ではかなり著名な方のようだ。
質問を投げても、こう云う資料があるからそれから辿ることができるという対応の仕方で、すぐさま結論を開陳するのではないので、こっちも探してみようという気になる。
今日の疑問で出ていた、当時の邦字紙が各地のいわゆる強制収容所では読むことができたのだろうか、ということも、多分ご存知なんだろうけれど、すぐには提示されなかった。
私の書棚に随分長いこと刺さっている本で、1985年に上坂冬子が書いた「おばあちゃんのユタ日報」という本がある。
当時私はまだ10カ所あった収容所のことは全く知らなかったけれど、1979年-1980年にかけて2.5ヶ月間滞在したのがユタ州の州都Salt Lake Cityだったので、興味を持って買ったものである。
この本を見れば、ユタ日報はどうだったかくらいはわかるかも知れないと思って開いてみると、なるほど、戦前の最も売れなくなった頃には300部ほどだったものが、昭和18年(1943年10月)には4000部にまで増えている。各収容所を廻るのが大変だったと書いてある。
300部ってのも驚くけれど。
久しぶりにこの本を開くと、1991年8月の朝日新聞の切り抜きが挟まっていた。
「太平洋戦争 報道 五十年後の証言」の第一回として、寺沢國子が取り上げられていた。
寺沢國子は1991年8月2日に95歳で他界した。
國子は信州飯田の出身で、大正11年にユタの寺沢邦夫に嫁いだ、一世だった。つまり日系米国人ではなくて、日本人である。