ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

やっぱりな

日本橋界隈や神田の辺ばかり旧町名を残してもらって不公平だと思う今日この頃である


 散歩に出かける。隣の区の図書館に予約した書籍が二冊揃ったと連絡があった。いやしかしね、そのうちの一冊はネットを使って古本屋で見つけたので、買ってしまった。高かったけれど、これは面白そうだったからだ。

 隣の区に隣接するところでバスを降りると、やっぱり日曜日だから歩く人が結構いる。終いには10人ほどの白人のグループがガイドに連れられてお寺さん巡りをしている。案の定、中の半分ほどはマスクをしていない。
 私から見ると、この辺に目白押しに並んでいるお寺さんは別に珍しいわけでもないような気がするけれど、詳しい人には説明するだけのことがそれぞれにあるんだろうか。
 考えてみると日本の仏教ってものも、かなり細かく宗派が別れていて、それぞれがそれぞれに由緒があるわけで、踏み込んだらそれはそれは説明するのは大変だろう。もちろんキリスト教にしても、同じようにユダヤ教から分離したイスラム教にしてもどうやら微妙なところで違う宗派になっているみたいで、踏み込んだら大変な迷路のようだよね。
 同じ南妙法蓮華経を唱える宗派なのに、創価学会なんてのもあるしね。多分歌手のティナ・ターナーに聞いたら明確にその区別を説明してくれそうだけれど。だいたいなんで「学会」なんだと。英文名称だってSoka Gakkai Internationalっていうらしいけれど、よくそれで理解されているなぁと不思議。
 今流行(はやりじゃないのか?話題の、かな?)の「世界平和統一家庭連合」だと英文名称は「Family Federation for World Peace and Unification; FFWPU)」っていうらしいけれど、世界平和と統合の家族の連盟って意味がわからないよね。ま、すぐにはわからないところにありがたみがあるんだって、説明でも良いかも知れないけれど。

 で、図書館に行く前に、毎週、もしくは2-3週間に一度は顔を突っ込む古本屋に顔を出し、丹念に書棚を点検する。立花隆の「天皇と東大」がなくなっていた。

 ちくま学芸文庫の「武満徹 対談集」を900円で見つける。最初の対談相手が黒柳徹子で、おっこれは読みたいと思った。
15人の対談相手が出てくるんだけれど、最後の二人は黛敏郎岩城宏之との鼎談である。中身は素晴らしく濃くて、これ一冊をポケットに入れて(400数十頁はちょっと重いか)旅に出ても良いくらいかと思う。
そうだ、「武満徹 エッセー集」もここで買ったんだった。武満徹著作集は全巻揃いでこの店にあるけれど、分量的にも値段的にもちょっと手が出ない。

 「飄逸と反骨で知られ、一貫して民衆の弁護士であった山崎今朝弥」の奇文集というか、大いに笑いながらその痛快さに膝を打つというものである。何となく宮武外骨を彷彿とさせる弁護士なのである。この本はたまらなく面白いので、相当覚悟をして読むことをおすすめするものなり。

 平凡社から出ていた雑誌「こころ」2013年 vol.12が「自伝・評伝を愉しむ」という特集で何人もの人が、読むんだったらこれ、と列挙していて非常に興味深い。その中から二冊をこの古本屋の棚に見つけた。

 樺美智子が国会に押し寄せた群衆の中で死んだのは1960年6月15日だ。私は小学校の最終年くらいで、当時は清水の岡小学校に通っていた。あんまり記憶は定かではないが、安保闘争が激しさを増しており、ジグザグデモが何たるかもわかっていたし、岸信介が相当強引なことをやっていることは理解していた。しかし、樺美智子のことはそれ以降も深堀りしたことはなかった。この本が出版されたのは2010年だからあの事件からまる50年経っている。

 副題にあるように「社会主義者堺利彦と「売文社」の闘いである。古本屋のご主人がおっしゃるように「ちょっと変なタイトル」であるが、この「パンとペン」は堺利彦が創設した「売文社」のマークで、それは「生活の象徴」なんだと書いてある。「こころ」vol.12では梯久美子河合香織もこの本を取り上げている。古本屋のご主人によれば、これも一度売れてまた入れたんだそうだ。