ほぼ足りてまだ欲 その先

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氷雨の神保町

あっ!岩波がない!

 「日本の古本屋」という古本検索サイトがある。ネット上で古本を探すときは、このサイト、あるいはAmazonで探す。Amazonでカバーされている場合には、Amazonの決済で買えるというメリットがある。「日本の古本屋」のサイトではその古本を持っている古本屋と直取引になるが、決済は共通システムでできる。

 1996年1月に始まった晶文社の「鶴見俊輔座談」全10巻がすでに書棚に7冊ある。そのうち一冊は近所の図書館が廃棄本に出したのを拾った。こんな本を廃棄本にするっていうのが、如何にもお役所仕事である。本の価値なんてどうでも良いんだろうな。
 欠落している3冊をどこかで見つけたいと思っていたが、両方のサイトに神保町のN堂書店の名前が出ていた。送料がもったいないので、氷雨をついて神保町へ出かけてみた。気温が低いせいか、右の膝が痛くて、その上雨用の靴の底が固くて、余計に膝が痛くなり、なんだか、ほうほうの体で二冊を手にして帰ってきた。脚の調子が良ければ、そのまま他の本との遭遇を楽しみに歩いてくるところだが、どうもそうもいってられなくなってきた。昨日テレビの「ぽつんと・・」で見た、90歳の酪農家を思い出しては、悔しい思いをする。

入手したのは1996年4月に出た「近代とは何だろうか」と9月に出た「社会とは何だろうか」の二冊。鶴見俊輔のこの手の本が古本屋の書棚に刺さっているのを見るのはめったにない。氷雨の中を出かけた甲斐があったというべきだろう。それにしても神保町も寂しくなっている。
「近代とは・・」の方は冒頭が先日まで法政大学の19代総長だった田中優子中浜万次郎について1990年に二人で語っていて、目からウロコがボロボロ。この対談は今の日本が未だに気がついていない、社会のあり方を故事を引きながら語っている。こういうことを知りもしないで、人種差別を平気で口にする連中の浅はかさに崩れ落ちそうである。
 「社会とは・・」では200ページを費やして、思想の科学の大研究である「転向」についての1977年の座談を掲載している。これは楽しみである。思想の科学の「転向」研究は三分冊で、すでに入手済み。

このシリーズ10冊が刊行された1996年は残念ながら日本にいなかった。