ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

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犬も歩けば棒に当たる、ということをいってございます。
本日の散歩は実はほとんど行き先方向を決めずに家を出たと思し召せ。
外に出たすぐ先に、ひとつバス停がございまして、一時間に一本やって参ります。
出た瞬間に、そこにバスがおりました。
慌てて手を上げて、のせて貰いました。
実は昨日行ったと同じ方向でございます。
なんだ、芸がないなぁ、でもまぁ良いかと。
良いも良くないもございません、乗っちまったんですから。

途中で乗ってくる人、降りる人を見ていると、足や膝やあちこちが痛そうなお爺さん、お婆さんばかりです。
だから、時間がかかります。
それでも運転手さんは、じっと我慢しています。
忍耐のいる仕事でございます。

昨日行った古本屋に立ち寄りました。
昨日の「考える人」の山を確認いたしました。
残念ながら私が持っているものばかりでございました。

気楽なところを見ていると、「私の銀座昭和史」(水原孝著 1988年泰流選書)なるものを発見。
カバーなし。著者は1920年木挽町生まれ、慶應義塾大-朝日新聞
中央市場通りの和菓子屋・清月堂の息子。

f:id:nsw2072:20211226201505j:plain:w360:left これを払おうとすると、帳場になんと晶文社鶴見俊輔座談全十巻のうち6冊が積まれているのを発見。
やや、これはどうよ、と些か動揺する。というのは、この全集は滅多にお目にかからない。
わが家には三冊あるだけだ。確実にない一冊をその場で買い、写真に撮って帰って、家の在庫と照合。
重ならない三冊を取っておいてね、と電話をして確保。
この古本屋は月・火が休みなので、取りに行けるのは水曜日。これで七冊になった。