ほぼ足りてまだ欲 その先

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温かい日だった

 温かい日だったにもかかわらず、とうとう一歩も家から出なかった。

令和4年度(第77回)文化庁芸術祭賞を受賞したBS-TBSのドキュメンタリー『通信簿の少女を探して~小さな引き揚げ者 戦後77年あなたは今~』が昨日放送され、録画を見た。
たまたまディレクターが入手した「ゴーガン私記」という古本の中から別府の小学校のある少女の6年生の通信簿が出てきた。
それをご本人の手に戻そうと追跡をするその一部始終。
6年間追跡の結果、東京の有料老人ホームでクラス87歳の女性につながり、とうとう最後にご本人の手に渡る。
少女の父親は満州の警察官から台湾、上海へと暮らす。終戦時、10歳だった少女は、母親の実家があった別府に引き揚げたが、引き揚げ直前に3歳上の兄を突然失う。頼んで荼毘に付し、お骨を首から下げて引き揚げたそうだ。
 加藤登紀子も、山田洋次も、登場するが彼らも皆引き上げ経験者。なにしろ全部で629万人が引き揚げてきたというのだから、半端な数ではない。驚いたのは、ジャズピアノのあの秋吉敏子満州からの引き揚げだというのだ。彼女はすでに92歳になる。
 敗戦直後、引揚者も差別され、親を失った子どもたちも差別され、飢えに苦しむ人達もみんな差別され、差別した。
そうして考えるとわが家は本当に恵まれた境遇にいたんだなと、その奇跡に逆に驚くほどだ。
 つれあいの実家は義父の兄が戦死している。

 こういう歴史はきちんと残していかなくてはならないが、現地で何が起きていたのかについても、避けて通るわけにはいかないことも明記する必要がある。

 その一方、TBSはあの差別主義者にしてナチスにも近い思想の持ち主、成田悠輔を未だに取り上げヨイショするという失態を演じていることはしっかり糾弾しなくてはならない。