ほぼ足りてまだ欲 その先

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引き揚げ住宅

「引揚者の戦後」(新曜社 2013)

  • 北区桐ヶ丘には都営桐ヶ丘アパートがあるけれど、ここの前身は陸軍兵器敞の火薬庫があった場所で、それをそのまま東京都が「引き揚げ者定着寮」に転用。1957年当時13棟の建物に102世帯423人が暮らしていた。1957年にアパートに建て直した。
  • 世田谷区下馬の都営下馬アパートは元は陸軍野砲兵第一連隊兵舎を転用。1957年当時、78棟の建物に799世帯3191人が居住していた。これを1958〜70年にアパートとしたもの。
  • 中日ドラゴンズの投手だった板東英二満州生まれで、引き揚げてきてから引揚者住宅の「新生寮」で育っていたが、ここは元々第一次世界大戦の時のドイツ兵捕虜収容所の「板東俘虜収容所」だったが、その後陸軍徳島連隊の演習場宿舎となり、それが第二次世界大戦後転用されたものである。
  • 同潤会を前身とする住宅営団昭和16年に作られ、仙台市青葉区追廻に1945年11月に引揚者用応急住宅が作られている。ここも元は軍用地。ところが今はGoogle mapで見ても草ぼうぼうの広大な空き地になっている。なぜか。1948年以降住宅は住民に払い下げられたが、実は土地そのものは国有地だった。仙台市はここを1946年の都市計画で公園にすると決めていた。ところが住民がそれを知ったのは1949年のことだった。そりゃ揉める。2009年になってようやく合意。2011年にも8軒が残っていたが、最後の一軒が立ち退いて公園計画が進む。もう戦後のあとはほぼ残っていない。