ほぼ足りてまだ欲 その先

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古本屋


 そういえば50代前半の頃はもちろん、まだまだ元気いっぱいだった。だから、神保町へいったら行ったで、端から端まで一軒一軒首を突っ込んで書棚を上から下まで舐めるように見渡しては歩いていた。そうして大体、紙袋を一杯にしてヨイショと云いながら昔の平和堂靴店の前を神田に向かって歩いたものだった。高田馬場の早稲田大周辺の古本屋をめぐるツアーも何度かやっていた。だから、あのへんの古本屋はあらかた知っていた。今から考えると50代というのはまだまだ体力もあるし、粘りもあったはずなのに、なんでろくなレポートも残すことができずに終わってしまったんだろうかと、残念だ。
 次に50代を過ごす機会があったら、なんとかしたい、とは思うけれど、もうそんな機会はないのね。人間は油断した日々を過ごすとこういう結果になる。

 さて、そのへんから人生には決定的な差が生じてしまうもので、いわゆる上級国民の人たちにとっては、十分満足をしているわけではないらしいが、そこから先の人生において、本当の苦労というものに接することが非常に困難になる。ま、随分恵まれた「困難」ではある。日々の生活に埋もれていると、想像力がないと思い至らない。それこそ、「パンがないのならケーキを食べれば良いんじゃないの?」的な発想にしかならなくなる。たまさかその種の生活者と接することがあると、唖然としてしまう状況を見る。しかも、それは「充分恵まれた人の発想ですよ」と正面から指摘することもできないからヒントを含めた物言いをすると、「私を馬鹿にするのか」的な反応として還ってくる。決定的な価値観の相違はしらずしらずに育成されてしまうのである。