ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

今日の足跡

 鶯谷の駅はJR山手線の各駅の中でも乗降客数が少ないという駅。2021年の統計では平均18,890人で、最も少ないのは7,867人の高輪ゲート駅。じゃ、なんであんなところに駅を作ったのか、JR東日本の見解を聴きたいものだ。
 鶯谷駅の不思議なのは、昼間になるとダァ〜っと通過していく京浜東北側にホーム・ゲートがないということだ。人身事故が起きるとしたら、こっちのダァ〜っの方がなんぼか危ない。理解ができない。
 上野で一旦降りて、ecuteというショッピング街がどうなっているのかを見に行った。構内にあるから電車利用しないと入れない。単なるデパ地下の駅構内版だった。珍しいのは軽井沢の浅野屋が店を出していることだった。電車を有楽町で降りると、Big Issueを売っているおじさんがいたので最新号を買った。「寒いですねぇ」「風邪をひかないように気をつけてね!」で別れた。


 銀座一/二丁目あたりの柳通りと並木通りの交差点にあるビルなんだけれど、今はGinza Crystal Towerなんて名前がついているらしい。昔はここにプロスキーヤーの杉山進の店が建っていた。杉山進は1932年、野沢温泉の生まれだったとウィキペディアが云っている。猪谷千春は1931年生まれだから猪谷よりは一歳下。1956年のコルツナ・ダンペッツォのオリンピックで猪谷は日本人初の冬のオリンピック・メダリストになったが、杉山は振るわなかった。猪谷千春ダートマス大なんかにいって、AIUに職を得て、お堀端に建っていたあのビルに職を得てきらびやかな後半生を送った。そういえば二人のその後を聞かないが、健在ならばふたりとも90歳を超えている。次の2026年のMilano/Cortina d'Ampezzoでのオリンピックまで健在だったら話題になるだろうなぁ。さぞかしこれからのCortina d'Ampezzoは工事だらけになるに違いない。なにしろ1956年当時の施設をだましだましここまで来たんだから、あっちもこっちも手を入れなきゃならないはずだからだ。またIOCが余計な注文をつけるだろうしね。宿泊施設だって、これまでの田舎のファミリー・ビジネスでは収まらないだろう。


 銀座柳通りと銀座レンガ通りの角は昔は豪華なウェディング・ドレスが何着も何着もぶら下がっていたと思っていたんだけれど、ずいぶん長いこと内装工事がどうのこうのだったような記憶しか残っていない。ところが久しぶりに通りかかったら、なんと「ふくい 食の國 291」というプレイトがかかっていて、福井県のアンテナショップになっている。この界隈はよっぽどアンテナショップとして魅力があるのか、山形だとか、広島だとかのアンテナショップになっているんだけれど、こういう店には誰が来るんだろう?誰を対象にしているんだろう。出身者なのか?それとも東京在住者に観光に来てね、と云っているんだろうか。それがわからない。そういえば入ったこともない。


 かつては(COVID-19前ということだけれど)昼飯を松坂屋の地下にあった乾山、天一、スギモト、あるいはこれ室町の寿々木、もしくは京橋の京すし、そうでなければこの三州屋銀座一丁目店だったのに、もう残っているのはここと驚くようなビルの一角になった京すしくらいしかない。京すしはランチの時間があっという間だから、ここに来ることが多かった。で食べるランチは必ず「海鮮丼」だった。御飯の上に載っている刺し身の具がそれはそれは豪華だった。まぐろ、イカ、鰹、蛸、雲丹、イクラなんてものまで載っていて、その辺の店の海鮮丼みたいに胡瓜や、そんな具でごまかしていなかった。惜しむらくはこれが酢飯に載っていたらいうことはなかったんだけれど、外に出してあった看板を見て、思わず足が止まった。なんと1,600円と書いてあるじゃないか。多分私が初めて入った時は(一体いつの話なんだろうかと思い出せないが)千円札でお釣りが来た。もはや、年金爺のランチの値段じゃないね。もはや銀座で食べられるランチは見当たらなくなった。


 教文館であてにしていた本が見つからず、取り寄せ依頼をした。やっぱり他の本のこともあるから大きな書店に行こうと、中央通りを日本橋MARUZENに向かって歩く。八重洲通りの手前の角に1854年創業の西勘本店が建っている。そこにあるのは昔から知っているけれど、ここのショウ・ウィンドウやらなんやらじっと見たことはない。左官屋さんのコテとか様々な道具を必要としたことはないからなぁ。それにしても、かつてはとにかく、今このご時世にこんなところで店を張っている意味って、それこそあるのかなぁ。岩本町やら、本所吾妻橋やら、古そうな道具屋さんなんかあるけれど、朝早くから店を開けて、現場に行く職人さんが入手できるような商売をやっているようだけれど、この地の利はどうなんだろうね。それこそトラヤとか高源が裏に引っ込んじゃっているけれど、西勘くらい、ここじゃなくてもいいような職種も知らないなぁ。


 昔っからビルの窓を綺麗にする方法ってのはこうしてロープにぶら下がるというか、腰掛けて、上からズルズルっと下がりながらシャッシャと洗剤を塗りつけ、ゴムのスクレーパーできれいに拭き取る作業に見とれたものだ。あれが意外に難しいことも経験したしね。今でも山屋の若者たちが、やっているのかなぁと、ボォ〜っと見ている爺さんは私くらいのものなんだろうなぁ。暇人でスンマソン。


 で、MARUZENに到着してみると、一階入ってすぐの検索端末も、エスカレーターで上った二階の検索端末も、こんな紙が立っている。実は教文館の端末も触ったらぐるぐる回りだして、挙句の果てに「メンテ中です」と出て動かなかった。書店系端末は一斉になんかトラブってんだろうか・・・と思いながら二階の奥の端末へ来てみると、二台あるうちの一台が、「調整中」の紙が外れた格好になっていた。どうなんだろうと思って触ると動く。検索したらちゃんと出るし、印刷もできる。こりゃ一体何が起きたんだろう。

日本橋から地下鉄で帰る。