ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

バザー

雷門前・龍昇亭西村の紫陽花練り切りでお抹茶をいただきました。

 天気あくまでも晴朗にして日差し強く。
なれない連れ合いの自転車でいただいたお米を炊き出し拠点に運ぶ。
なんともバランスの悪い自転車で、良くもまぁ、こんな自転車で、訪問介護に出掛けていたものだと、いまさらにびっくりする。
もっとも女性用の自転車だというのがあるのかもしれないけれど、ハンドルがフラフラして、漕ぎ出しが思うようにいかないというゾッとするような動きだった。10kgのコメはさすがに重たくて、ボランティアのお兄ちゃんに後ろの荷台から下ろしてもらう。


 帰りには家のそばを通り越して、反対側へ行く。例年だったら4月の末に開かれる、ボーイスカウトのバザーだった。お元気な先輩は全然おかわりがなくて、お元気そのものだった。


 「こいつ誰だかわかりますか?」と繁くんがいうので、その「こいつ」を見たんだけれど、全くわからない。「だ、誰だ!?」と。35年くらい昔に初めてあった彼がもう65歳だそうで、デブデブに太っていて、全くわからない。定年で退職したんだそうだ。


 一緒にリーダーをやっていた奥さんが右手を吊っていてどうしたのと尋ねたら、昨年10月に尾瀬で転んで骨折したんだそうだ。それにしても長くかかっているなぁ。そこへやってきた同年齢のお爺さんリーダーが「僕が中学一年でボーイのキャンプで尾瀬に行った時はまだ木道じゃなかったんだ」というのである。おいおい、そりゃ先代の話じゃないのかと。そりゃ冗談だけれど、尾瀬沼は1919年にダムの計画があり、「1921年(大正10年)に関東水電は尾瀬沼の水利権を獲得」したんだとウィッキペディアに書いてある。結局ダム計画が廃案になったのは「1996年(平成8年)東京電力は3月31日、尾瀬沼の水利権更新を断念し放棄」したんだそうで、なんだ、それってついこの前のことじゃないか、と驚くのであるな。そこで木道だけれど、「木道設置は1952年に始まったとされる。当初は歩きやすさを求めて。ハイカーが増えて湿原が踏み荒らされると、自然を守るために延びていった。」(2018年12月7日朝日新聞群馬版)と書いてある。そうすると当時は今みたいに(いや、私は行ったことがないけれど)ずっと木道になっていたわけではないんだろう、そうでないとあの同年齢お爺さんリーダーの話と合致しないもの。

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 キーマカレーを買って帰って、ランチにした。