ほぼ足りてまだ欲 その先

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保阪正康、岸信介、統一協会

日頃から週刊誌をチェックしないので、全く知らなかった。
週刊現代の7月15・22日号に保阪正康が『「安倍家」はなぜ天皇に嫌われたのか』という記事を書いている。
石橋湛山が組閣をした時に、岸信介外務大臣にした。
湛山は体を壊してわずか65日の首相の座を外務大臣である岸信介に託した格好になった。
組閣名簿をご覧になった「ある一人の人がどうして岸を外務大臣にしたのか、彼は先般の戦争において責任がある。その重大さは東條以上であると思う」といったというのである。そして岸信介をまさに継承するとしてきた安倍晋三について述べている。

 この記事に対して月刊Hanada近辺の人たち、例えば櫻井よしこのような人たちが、「皇室の政治利用です。事実も間違っています」とSNSで発信しているかと思ったら、統一協会の広報紙、世界日報も7月24日に「安倍氏を不当に貶(おとし)めようという言論が後を絶たない。それほど安倍氏のレガシーが大きいことを示している」といって取り上げている。1987年8月7日にに岸信介が死んだ時に、昭和天皇は(1年半後になくなる)御製の草稿に三首の歌を残しているとしている。

「國の為務めたる君(は)秋またで世をさりにけりいふべ(ぐれ)さびしく」

「その上にきみのいひたることばこそおもひふかけれのこしてきえしは」

「その上に深き思ひをこめていひしことばのこしてきみにきえにけり(さりゆきぬ)」

欄外に「言葉は聲なき聲のことなり」と記されているという。

 世界日報は「昭和天皇は岸元首相の「深き思ひ」を理解され、同情を寄せられていたことが分かる。」としているが私はこの草稿に残っていた歌がそういう意味であるとはどうも思えない。むしろ逆ではないかという気すらする。

この記事の締めくくりには、ほとほと統一協会や月刊Hanada同人諸君の思いっきり世の中の片隅に潜んでいつまでもこの国を滅ぼそうとする人たちの思いが浮き彫りになっている。

安保改定が日本の安全を保障し国際共産主義の脅威からいかに守ってきたかは改めて論じるまでもない。国際政治の大局の中での判断が政治家の最大の評価の基準であることを考えるなら、「論理が一面的」なのは保阪氏の方である。

以上述べたこと以上に保阪論文で看過できないのは、安倍元首相を貶めるために、天皇の権威を利用しようという意図が透けて見えることである。「アベガー」でもしないことを現代史研究家がすべきではない。

 さて、ココから保阪正康は彼のこれまでの思いをどのように発露していくのか。彼も83歳になった。頑張ってほしい。