ほぼ足りてまだ欲 その先

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100年

昨年は文藝春秋が100周年だったので、今年の正月号は684頁に及ぶ「創刊100周年新年特大号」だった。
 なんでそんな雑誌を私が買ったのかというと、保阪正康が書いた「平成の天皇皇后大いに語る」という随分時代がかったタイトルの記事を読みたかったからだった。

 彼と半藤一利は6回ほど平成天皇皇后に宮中を訪ねて話をしたことがある。それで聞かれたことを綴っている。彼が両陛下にあったことは本人の口から聞いたことがあって、その時確かに彼は「これはオフレコだが」と前置きをして話したことを私がここに「彼らは両陛下にあったらしい」と書いてしまって大騒ぎになったことがある。当時は新宿の高層ビルにあった朝日カルチャーセンターで月に2回、彼の話を聞く講座があった。そして三ヶ月に一度は有志の方の計らいで、保阪正康を囲む昼飯会があった。私はほとんど出席しなかったけれど、たまたま出席した会にその話が出た。まさかこんなブログをそんな関係者が見るはずはないと軽い気持ちで書いたけれど、なんせ「検索」という武器があるので、特定の言葉をキーに検索ブラウザを動かせば引っかかってくることを意識しなかった。自分でも四六時中検索するのにである。多分保阪正康の周辺には常に彼の名前を検索しているスタッフがいるのではないだろうか。カルチャーセンターから直接電話がかかってきて、こんなことを書かなかったか、と指摘され、削除して次のチャンスに本人にお詫びをした。大事になっていたら、損害賠償請求訴訟が起こされていたのかもしれないけれど、別に何事も起きなかった。
 本誌の記事に話は戻るけれど、30頁に及ぶ記事はなんだか日頃の保阪正康の書きっぷりと比べると驚くほど慎重に見える。彼は日頃自民党のことの運び方やら、思想についてかなり批判的であるし、もちろん戦前の大日本帝国の在り方、考え方、行動に批判的ではあるが、こと皇室に限っていえば驚くほどの慎重さを持って当たっているようには見える。多分、彼の周辺にいるスタッフがその辺はよく見ているだろうから、この先なんらかの評伝は出るだろう。

 私にとって文藝春秋という月刊誌は子どもの頃から周辺にあった。というのは父親の愛読書のひとつだったからである。彼は文藝春秋が来ると、まず広告という広告を全てビリビリと破き捨てる。こんな読み方をする人は見たことがないが、非常に短気だった父親は、広告なんだか、記事なんだかわからない部分に振り回されるのが勘弁ならなかった様子で、籐で編んだ比較的丈の長いゴミ箱にバッサバッサと捨てた。すると、さしもの文藝春秋もすっかり痩せ細る。それほどこの雑誌は広告が多い。その痩せ細った文藝春秋を彼はソファにごろんとなって読んでいた。

 菊池寛がどんな人だったか知らないが、とにかく月刊Hanadaの大人版というか、マイルド版というような文藝春秋には私はほとんど顧みることはない。この正月特大号にもいくつも自民党忖度記事が載っていて、保阪の記事だけをスキャニングして後は捨てたいくらいだ。例の元NHKの岩田明子が政治外交ジャーナリストとして「安倍晋三秘録その4」なんて連載を書いている。
 のっけから従軍慰安婦問題で、一旦政権から降りた後、安倍晋三が「私が頭を下げることで解決したい」といったと。そこから安倍晋三を「信念の人」とかいって散々持ち上げるわけだけれど、さまざまな植民地に対する暴虐をたった一人の政治家(というよりも一人の世襲選挙屋)が頭を下げたことで解決できるんだと思い込んでいる安倍晋三の至らなさと、それをすらヨイショするおべっか使いをみただけでも、この雑誌のお粗末さに絶望してしまう。

 なんで今頃こんな雑誌を取り上げて書いているのかというと、ごろんと横になった時に目の前に積み上がった書籍の平積みに見つけたからである。なんちゅう理由もない。