集合住宅のわが家の扉を押し開くと、やたら重たい。なんだろうと思ったら風だった。北風が吹き付けて扉が重い。冬だ。我が家の出入り口は北側にある。
しかし、地上へ降りると、お陽さまさえ当たっていればどうにか大丈夫。そういえば、地べたに建った家に暮らしていたのは学校を卒業するまでの実家と、外国にいた3年半だけだったなぁ。その他はずっとコンクリの箱の中に暮らしてきた。今度の能登の地震のようなのが来たら、もう住むところがなくなってしまうなぁ。そうなったらどこか遠くへいかないと、暮らせるだけの資力も続かないだろう。そう考えると、本当にこの人生も泡沫(うたかた)なもんでしかないよなぁとつい厭世的になりそうだ。
バスが跨線橋を越えるかどうか、というあたりからやたら進まなくなった。信号があるし、一車線だから滞ることはあるけれど、こんなに渋滞になることはない。運転手が無線でセンターと「事故があるという情報でもありますか?」と聞いていた。えぇ〜いと一つ手前の停留所で降りてみた。ずっと車の列が続いている。次の停留所のちょっと手前で、引越屋のトラックと、「わ」ナンバーだからレンタカーの乗用車が、それぞれの右前をぐしゃっと潰して止められている。どういう具合にぶつかったのか、合点がいかない。出会い頭かしらん。救急車も、消防車もやってきたけれど、幸い大怪我している人廃なさそうだけれど、一人救急車に乗っていった。のんびり写真なんて撮って見物しているやつはひんしゅくを買うな。週末になるとこの辺は結構他県ナンバーが入ってくるが、狭い通りばかりな上に一方通行ばっかりで、いくらナビがあるっていったってとんでもないことになりかねない。
かつては掘り出し物がないかとよく足を踏み入れていた古本屋に入ってみると、たぶん夫婦連れの先客がいて、その女性が香水だかオーデコロンだかをプンプンさせていて、我慢ができず、程なくして出てきてしまった。「東京の生活史」がおいてあって、3,000円ほどの値段がついていた。一瞬、「大阪の生活史」かと思って手に取ろうとしたけれど、そりゃ古本屋に出るにしては早すぎる。
藤原書店から全5巻の「森繁久彌コレクション」なるものが出ていることを知った。
森繁とくれば東宝の社長漫遊記シリーズやら駅前シリーズで子どもの頃から銀幕で良く見ておったわけだけれど、今から考えてみれば、稀代のスケベオヤジで、やたらと女優を触りまくったといわれていた。そりゃいろいろあるだろうね。先日なくなった中村メイコが再放送されたインタビューの中で、子どもの頃はよく頭をポンポンとされたけれど、おとなになったら、「おしりを触るだけだ」といわれたと平然といっていた。今だったら大変だっただろう。昔は芸人はそんなのどうでも良いくらいな居直りで、される方も「森繁先生ですから」くらいな扱いで、のんびりしていたというか、ケシカランものである。何しろ会社の社員旅行にいって、平気で女子社員とチークダンス踊ったりしてんだもんなぁ。彼女たちは嫌だっただろうなぁ。
あ、話がそれた。で、淡路恵子や、草笛光子、久慈あさみ、団令子なんてのが出てきて、「あんラァ、社長さぁ〜〜ん」なんてやってんのを小学生が映画館で見てたんだから、ふざけた時代だったよね。私はなんといっても三木のり平のファンだったからなぁ。森繁や小林桂樹、加東大介なんてどうでも良かったんだよね。それにしても小学生が三木のり平が気に入っていたんだから世も末だ。有島一郎はテレビで「河童ザムライ」なんてのをやっていたけれど、三木のり平がテレビに出たのはNHKくらいしか記憶にないなぁ。「若い季節」に出てなかった?「夢で会いましょう」には出ていたと思うけど。
それにしても芸人に「先生」はないだろう。そのへんのチンピラみたいな区議会議員が先生呼ばわりしてんのを見るとぶっ飛ばしたくなるね(またいってんの)。