ほぼ足りてまだ欲 その先

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聖書


 COVID-19騒ぎの前から、もうほとんど日曜日に教会へ出かけるのをやめてしまった間に、世の中いろいろ変わっているみたいで、知らなかったのは聖書の新共同訳が2017年に新しい訳に改められていることだった。どうしてわかったのかというと、教会の聖書の勉強会がzoomで開かれていることがあって、解説の先生が母校の元学部長だったので、気軽にアクセスした時に、皆さんが読んでいる聖書と、私が開いている聖書が微妙なところで異なっているので、おかしいなぁと思ったからだった。それで教文館に行った時に三階まで上がっていって、棚を見たら、見慣れない表紙になっていて知った。つまり、それくらい教会から遠ざかっていたということなのだった。それがバレちゃうのが嫌で(とっくにバレているんだけれど)、それ以来、zoomの聖書勉強会にも顔を出さなくなった。

 先日教文館に行った時に、カウンターに岩波書店の「図書 1月号」があったからもらった帰路、取り出してパラパラしていたら新約聖書の研究者である佐藤研(さとう みがく)先生の「なぜ十字架ではなく「杭殺柱」か、新約聖書改訂新版刊行に寄せて」が目に止まった。佐藤研先生も学部の先生だったことがある。ここで「十字架」の歴史に触れておられて、甚だ興味深いのでこの「岩波版新約聖書改訂新訳」を見てみたいなと思ったんだけれど、これはそう易易と手に入るような金額じゃないのだ。都内の各自治体の図書館でも15か所にしか蔵書されていない。
 そもそも十字架とはいうけれど、磔の刑に使ったのは最初は十字の形なんぞしていないというのである。ギリシア語の原語は「スタウロス」であって、その原意は「杭」だというのだ。一本杭を地面に立ててそこに罪人を手を上にして足が地に着くか着かない形でくくりつけた。苦悶の中に窒息するかショック死させるという残酷な刑。その後横木を固定した。もっとも多かったのはこのT字型だという。それがその後十文字型が伝えられ、「十文字が新しいペンダントになる」という現象に繋がってきた。だが本来は「スタウロス」は美しい代物では絶対にない、だから「十字架」に替わる言葉として「杭殺刑」「杭殺柱」を新たに作った。だがしかし、この言葉はまだ賛同を得られていない、と書いている。こういう自由を許しているところが岩波版の特徴だ、と書いてるのを読むと、ますますこの聖書を読んでみたい気にさせられる。研先生!なかなかやりますな。