ほぼ足りてまだ欲 その先

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原節子

 美人女優といえば原節子、と聞かされていたのは私がまだ子どもの頃のことだ。しかし、かなりおとなになるまで原節子本人を銀幕上でも見たことがなかった。近所に松竹系の映画館がなかったわけじゃない。親父に連れられて、紅座(べにざ)という映画館に花菱アチャコ伴淳三郎、上田吉二郎なんてのがでていた「二等兵物語」を何本も見に行ったんだから。「二等兵物語」は1955年から1958年にかけて6本も作られていたらしい。しかし、うちの親父のセンスは所詮アチャコ・伴淳であって、『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)路線でないことは明白だった。おかげで自分も上田吉二郎のモノマネを得意とするようなこどもになった。だから当然原節子を見る機会がなかった。
 原節子が初めて母親の役をやったという「のんちゃん雲に乗る」(鰐淵晴子 1955年作品)を見たような気がして、なんで気が付かなかったのだろうと思ったけれど、それは「にあんちゃん(1959年 今村昌平監督)」の間違いでやっぱり原節子を銀幕上では見ていない。
 それで初めて原節子を雑誌かなんかで見た時に私はあまりの自分が抱えてきたイメージと現実との違いにずいぶん戸惑った。戦前から「美人女優」のほまれの高かった原節子がずいぶんバタ臭い印象の人だったからだ。私はてっきり楚々とした八千草薫みたいな人を想像していた。

 それにしても原節子が保土ケ谷の生まれと聞いたときはもっと意外だった。関西の、それも神戸あたりの人かと思っていたからだ。人間が持つ印象なんて、ずいぶんいい加減なもんだ。

小谷野敦のブログを読んで思い出したこと。