ほぼ足りてまだ欲 その先

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「まわり舞台の上で」

まわり舞台の上で 荒木一郎

まわり舞台の上で 荒木一郎

  • 作者:荒木一郎
  • 発売日: 2016/10/22
  • メディア: 単行本

 昨日図書館からこれを借りてきたわけ。こういう本が出ていることも知らなかったわけ。インタビュー記事を集めたものなんだけれど、全部で572頁もある。しかも、頁組みが妙にきつきつ感があるなぁと思ったら、頁の余白がほとんどないわけ。読み難いっちゃありゃしない。その上、こっちは老眼鏡をかけないと読めないから、寝っ転がりながら読めない。もっともこんな本は重くて、そんなことはできない。こんな本こそ、インタビューばっかなんだから、audibleにして貰いたいよね。なんで、こんな本を借りてきたのかっていうことを書かないと、繋がらないかな。
 そもそも小学生高学年の頃、つまり1950年代の終わりぐらい、NHKの夜7時のニュースのあとテレビは15分間の連続ドラマ「バス通り裏」だったわけよ。十朱幸代や岩下志麻が出ていたんだけれど、これに荒木一郎も出ていたわけ。洗濯屋の御用聞きの「さんちゃん」というボォ〜ッとした役だね。それをある日、同級生の青井君とか福島君が、私のことを似ているというんだ。それから彼等は私のことを「さんちゃん」と呼び出したんだね。私は中学一年を終わってから1962年にまた転校して元に戻ってきちゃうんだけれど、三人が三人とも浪人していた頃、彼等も上京してきて、そんな歳になっても彼等は私のことを「さんちゃん」と呼んだ。
 で、大学生の頃、彼のコンサートへ、新宿の厚生年金会館か、大手町のサンケイホールだったかに行った。緞帳が上がって、上手からセットの上を歩きながら荒木一郎が出てきて、「♬そらにぃ、ほしがぁ、あるぅよおにぃぃ🎶」と歌い出すやいなや、彼はセットからおっこって、歌が止まる。で、緞帳が下りちゃって、「怪我のため中止」だってんだね。これが一体いつのことか、知りたくて、こんな分厚い本を借りてきたんだけれど、そんなことに話が及んでいるのか、どうか、まだ全然わからない。

 昔のことを語っているから、面白いことがいろいろ出てくる。当時は誰もが知っていただろうけれど、彼は母ひとり子ひとりで、その母親ってのは文学座荒木道子だよね。当時は加藤道子とふたり「道子」がいたんだけれど、荒木道子はちょっと暗くてね。そこへ行くと加藤道子は明るくて、可愛いおばさんだったから全然受けが違うんだね。荒木一郎はいいたいことを平気でいうし、芸能界の下積みなんかじゃないから、やりたい放題。気に入らなきゃ仕事降りちゃうしね。だから、いろいろいわれていたんだろうなぁ。
 あのボソボソ喋るのは、はっきりかっきりセリフを言うなんて、日常生活から見たら、すげぇ不自然で、そんな奴日常にいねぇじゃねぇかっていうところから来ているらしいよね。しかし、それは見ている方からすると、実は良くわかんねぇんだね。笑ってるんだか笑ってないんだかわからないんだよね。上田吉二郎みたいに笑ってくれないとね。そりゃ、義太夫みたいに笑わなくたって良いけれど。
 その辺が荒木一郎荒木一郎なんだろうけれど、彼は芸能界から使いにくく思われてたんじゃないかな。歌がヒットしたって、自分が歌い手だという意識がなく受けちゃったんだから、本人はどうでも良い訳よ。下積みからやってきた人にしたら、腹立たしいわけだね。
 その辺のことを意識して読んでいると、結構面白いよ。誰か、audibleにしてくれよ。