ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

窓口

 英語圏の国では銀行の窓口のところに「teller」と書いてある。初めて見たときに、とっても違和感があって、「要求を告げる相手」だから「teller」なのかなぁと自分で勝手に解説していた。で、よくよく考えてみると、これから始まって、銀行の機械のことを「ATM」というんだというのがわかった。考えてみたら日本ではあの機械のことを誰も日本語でいわない。みんな「ATM」と平気でいっているし、若い人も高齢者も、スマホ持っていようがいまいがそう呼称している。正確には「自動金銭出納機」というらしい。「ATM」は本当は「Automatic Teller Machine」というんだって。しかし、誰もあれを「すいとうき」とか銀行機」とか呼ばない。みんな「ATM」と呼んでいる。

うしろむき その2

 思い出すのは昔のことばかり。

小学校3年生くらいの時だと思うのだけれど、うちの町会の子供会の集い、というのが小学校の教室を借りて開かれたことがある。こんなことはとても珍しくて、だいたいひとつの丘をその区域とするうちが属する町会で、町会行事なんて多分他にはなかったのではないだろうか。丘の町会だから、多くのうちが坂道に面していて、隣の家も階段を上がらなくてはならなかったりして、あんまり隣近所のつきあいがあるわけではなかった、うちの隣には200坪ほどの敷地の中にお抱え運転手さんの家があって、お屋敷にはお年寄り夫婦が住んでいるだけだと聞いていたし、当のご夫婦の名前はもちろん知っているけれど、見たことがないくらいで、今時の集合住宅暮らしと大差がなかったのだ。
 その子供会は、なにか演し物があったり、ゲームがあったり、地域のご父兄がご尽力なさったのだと思う。帰り際に、白いお菓子屋がくれる様な紙の小さな袋に三角の薄荷糖の菓子と、なにか饅頭の様な物が入っていた。ひとつ貰ったら、その日来なかった二歳上の姉の分も持たせてくれた。私はもっけの幸いと、うちへ帰る途中で姉の分というか、ひとつを食べてしまった。うちに帰って「お土産にこれを貰ったんだ」と見せびらかした。つまり姉にはあげなかった。
 この話はこの歳になるまで誰にもいわなかった。

うしろむき

 毎日思い出すのは昔のことばかり。

ぬぅれたぁ 仔馬のたてがみを
なぁでりゃ 両手に朝の露

 引退した著名な競走馬のたてがみを牧場にいって切った奴がまたいたとテレビで聞いて、思い出したのは「めんこい仔馬」という歌。「めんこい」というんだからどこか地方の方言だろうか。古めかしい歌だし、馬のたてがみを撫でるなんて今じゃとても想像すらできない状況だ。ウィキペディアにお伺いを立てると、なんと1940年(昭和15年)12月の歌だという。作詞はサトウハチロー、作曲は仁木他喜雄。歌は二葉あき子、高橋祐子。陸軍省選定 東宝映画、「馬」の主題歌とある。二葉あき子といえばあの「岸壁の母」だけれど、1915年2月の生まれですからこの時30歳。私はあの人の唄いっぷりからいって浪曲出身だと思っていたけれど、なんと東京音楽学校の卒業生。奏楽堂で後の藤山一郎を聞いて一念発起したのだそうだ。と、ここまで書いてきて、どうもおかしいなと気がついた。「岸壁の母」はやっぱり二葉百合子で、彼女は父親がもともと浪曲師で、三歳で浪曲師として初舞台を踏んだという。百合子は1940年にはまだ8歳である。

 二葉あき子は「渡辺はま子淡谷のり子松島詩子笠置シヅ子と並ぶ創世記の紅白を代表する女性スター」だとウィキペディア様が仰っている。このメンバーなら全員すぐさま顔まで思い浮かぶし、ひとりひとりについて語ることもできるけれど、二葉あき子については全然思い浮かばない。しかしながら「水色のワルツ」という彼女のヒット曲は、覚えている。とても暗い歌で、東京12チャンネルの「懐メロ番組」で親父とおふくろが見ていたのを思い出す。多分うちのおふくろだったら、一緒になって朗々と歌っただろう。
 サトウハチローは良くテレビに出てきて喋っていた。戦後もおおいに売れた作詞家だった。しかし、なんとも汚らしい格好をしたお爺さんだった。サトーハチローといえば、妹は佐藤愛子である。現在96歳。ただし、彼等の父親である佐藤紅緑という男は怪しい奴で(当時はあの種の世界の人たちは全然平気だったのか、野口雨情も良い勝負だし)、次から次に同棲相手をとっかえひっかえしており、サトーハチローのは母は「はる」という。紅緑はハチローが中学生の時、舞台女優の三笠万里子と同棲して「はる」を離婚。佐藤愛子は三笠万里子の娘である。ハチローはこれを契機にぐれてしまい、小笠原の父島の感化院送りになる。紅緑は青森出身、はるは仙台出身である。「めんこい」はこの辺がルーツだろうか。
 彼等の異母兄弟としては、もうひとり大垣肇という劇作家がいる。しかし、彼の母親ははるでも三笠万里子でもなく、佐藤紅緑と愛人・真田イネの子だとしてある。ハチローが七歳の時の子どもであるから、本妻はまだはるである。

 サトーハチローは70歳で佐藤愛子が3年ばかり勤めたことがある築地の聖路加国際病院で1973年に死んでいる。佐藤愛子は今年の誕生日で97歳になる。彼女は二人目の旦那の事業失敗の借金を抱えて、ガンガン出版した。だから多作であるらしい。ただの一冊も読んだことはない。ひと頃、バブルの頃、もとはといえば労働運動小説から始めたはずの上坂冬子と一緒になって、やれブランド物は丈夫だから良いのだ!とか、調子をこいていたのを私は覚えていて、鼻持ちならないからである。そして、曾野綾子と同じように、自分が晩年にいたって、それを売り物にした本を次々に出しては家族を露出しているのが全く気に入らないので手に持ったこともない。しかし、佐藤紅緑と全員不良となった彼の4人の息子のことなどを垣間見ると、彼女が紅緑一家を書いた「血脈」を読んでみても良いか、なんぞと思えてしまう。はなはだ気に入らないので、古本屋で遭遇したら手にしてみんとす。


◆Do29. めんこい仔馬 二葉あき子・高橋祐子

いくらなんでも

 財務省の太田が国会で発言して有名になった「いくら何でも、それだけは」というのがあるけれど、昨日の自民党内の案だという、「和牛券」「魚券」には呆れかえって、目の玉が飛び出そうになった。COVID-19でにっちもさっちもいかなくなってしまう経済状態にてこ入れする政府手配の補助の話。現金を全世帯に補助すると、「それを貯金に回しちゃう連中がいると経済が廻ることに役に立たない」という発想なんだそうだ。じゃ、和牛券や魚券で大家に家賃を払うことができるのか、それでローンの返済ができるというのか。バカか。ほとほと呆れかえる。

自転車

 ふと気がついたら、近所の自転車屋の建物が解体されている。もうそろそろ70歳代も後半に差し掛かるお爺さんがひとりでぼつぼつと営んでいた自転車屋で、とても新しい自転車を買う人がいるとは思えない。空気入れを借りに寄る人がいるとか、たまにパンクを修理して貰いに寄る人がいるくらい。昔は道路事情も悪かったし、早々自転車を買い換える風潮にはなかったから、この種の自転車屋さんは必要だったけれど、今や自転車ですら、使い捨ての時代。閉店は時間の問題だった。あちこちにあった自転車屋はどんどん姿を消している。私の近所にはもうあと一軒、自転車とバイクの店があるだけだ。

 自転車といえば、今の若者にはその日暮らしの自転車操業で暮らしている人たちが増えた。アルバイトだったり、もうほとんどアルバイトといっても良い様な日給週給やら、日給月給やらの形態だ。こんな状況になってあっという間に首が回らなくなる。非正規の雇われとして寮で暮らしていて、雇い止めと同時に寮から出て行け、といわれて路上生活になってしまったという話は枚挙にいとまがない。そういう雇用形態をとっている経営者の問題というよりも、それを是とした制度を作り出した政治の責任であるというべきだ。彼らは儲かるために政治をしているわけで、有り体にいえば、その種の雇用をされている労働者から甘い汁を吸っているのがその政治家たちなわけで、これを自由市場主義とはいわないだろう。
 その象徴的存在は、パソナという人材派遣会社の取締役会長は竹中平蔵である。彼は慶應義塾大の教授時代から小泉純一郎と手を組んで、派遣業法を改悪して、どんどん労働者を非正規の形にし、自ら手を突っ込んで儲けてきた。つまりアカデミズムを武器にした貧乏神の様な者だ。

 外へ出るな、仕事はやめろ、伝染病が蔓延すると宣言して、こうした労働者を見捨てているのは彼らを産み出した政治家だ。彼等への補償すら知らん顔して、いったいこうした連中はなにをするというのか。この上彼等を見捨てるのか。

優秀賞

 昨夜は娘と、わが家の根幹を支えているのは、つれあいの先見の明である、という結論に達したのであった。2月の初めからすでに、アメリカ、それもニュー・ヨークから帰ってくる夫がウィルスに冒されていてはならないと、マスクから、手洗い用の各種洗剤、消毒液等を準備していたのだそうで、案の定、帰ってくるやいなや咳き込み、熱を測る夫を見て、いよいよ来たかと思っていたらしい。しかしながら熱は出ず、保健所に電話してみると、帰国者ではあっても、熱が出ない以上検査はできないと断られ、いつものクリニックにいって肺のレントゲン、血液検査をして、肺炎になっていないことを確認して、その後事なきを得ている。
 もともと、3.11以降、備蓄には気を配っているので、食料庫には缶詰、パスタ、パックご飯は欠かすことがなく、トイレットペーパー、水は納戸に積み上がっている。この食料庫は引っ越してくるときに、飾り棚だった部分に扉をつけてそうしたもので、これも彼女の発想だった。来月の彼女の誕生日には、「優秀賞」を送ってこれを賞することとす。ッたって、多分すき焼きか餃子を食うだけ。感謝の念を表明することに意義があるのだ。良き哉。

40人

f:id:nsw2072:20200325210759j:plain:w360:left オリンピックは来年の7月までの間に延期だ、と発表した途端に、東京都のCOVID-19の感染者が40人(正確には41人)だという。オリンピック様の状況に従って発表したり、しなかったりするのがどうやらおかみの方針の様だ。ということはこの実数はお上の意向によって発表に手加減されているということだから、この40人だって、実数ではあるまい。昨日うちの区でも突然4人の感染者が報じられた。
 傾向として欧州に旅行にいっていた人たちが感染して帰ってきている。私たちもこの中の一人になりそうだったわけで、今更ながらどっきりだ。そして、今日を最後に米国からの入国者を二週間隔離するということになったら、ドッと帰国者が増えそうで、彼らが入ってくる明日以降は、感染の可能性がある人がやってくるけれど、日本の空港検疫所では処理しきれなくて、当然入ってきてしまうわけで、見えない感染者はどんどん増える。検査をしないんだから、どんどん増える。
 こんなことで、この国が悲惨な結果になるのだとしたら、あまりにも悔しい。なぜって、怠惰な政治家と官僚のおかげでそうなってしまうことになるからだ。
 潰れそうな自営業者は数知れず。飲食店も軒並みその危機に瀕することになる。安倍晋三麻生太郎も、そんなことどこ吹く風だ。

 志村けん感染、肺炎で入院の記事がテレビで報じられる。「なんといっても年齢が70歳という高齢なので・・」といっているのを聞いて、オイオイ!70歳ってそんなに高齢なのかい!と驚いた。

 英国のチャールズ皇太子がやはり陽性で、それでも軽症なので自宅(というのか)で養生しているそうだ。彼の場合はCOBID-19患者の慰問に行っていたので、感染源はわかっているらしい。チャールズはあぁ見えて(どう見えているというのか)災害時には身を挺して慰問に出る。かつて大水害の時に、翌朝スーツと革靴のままザブザブと歩いているところをテレビで見たことがある。