それ目当てでこの際テレビを買い換えて、さっそく申請書を作って送った。待てど暮らせどなしのつぶて。どうも150万件申請されているらしい。どうなっているのかと思って電話した。すると「いつ頃送られましたか?」と慇懃なお姉さんが言う。「一ヶ月半ほどにもなるんですけれどね」といったら「ただいま二ヶ月半はかかります」と何を寝とぼけているんだ、そんなの甘い甘い、という対応をされちまって、むっと来た。ま、なんでもむっとするんだけれどね。
今自分の申請書がどんなポジションにあるのかを聞くのにかけるこの電話も別に無料電話ではなくて、26秒ごとに10円かかる。とにかく待つしかないそうで、しびれを切らして電話をすればこうしてどうなっているのかがおよそ見当がつくだけ。しかも、交換商品として参加している側にそれが回ると、今度はそのここの業者にこれまた普通電話で問い合わせるしかないそうだ。
売る方はすぐさまお金になって良かったね、エコポイント貰う方は濡れ手に粟なんだから二ヶ月半くらいは黙って待てよ、状態といっても良いかも知れない。
はい、はい、待ちますよ、二ヶ月でも三ヶ月でも。お上のいうとおり!
民主党が悪いのか
2016年のオリンピックがリオ・デジャネイロに決まって、東京は惨敗。不良小説作家は帰りの飛行機の中で泣いたんだそうである。大変失礼ながらこの話をテレビのニュースで聞いた瞬間、私は思わず笑ってしまった。
帰路の機内で弾丸ツアーで応援に駆けつけた都民らの席を回り「お疲れさま」「ありがとう」と声を掛けた際、拍手で励まされ、泣いてしまったと明かし「同胞の熱い心のきずなを久しぶりに感じ、気持ちのいい涙を流した」と語った。(共同通信 091004 12:22)
今日の産経新聞(091004 08:27)はこの惨敗は民主党が批判し続けたのがいけないという記事を書いている。
首相も幹事長当時の平成19年4月にメルマガで「傲慢(ごうまん)不遜な石原氏の五輪などという時代錯誤的発想」と応戦。今年2月には都連会長の菅直人副総理・国家戦略担当相は「石原氏が都政の失敗を五輪で回復しようとするのを、なぜ国会議員が協力しなければならないのか」と息巻き、石原氏が「五輪を政争の具にしている」と猛反発。
しまいにはみんなと同じ服を着なかったと、こんなことまで書いている。本当にそんな声を誰が挙げたんだろうか。誰も彼もが同じ服を着ている方がよっぽどどこかの国の60周年みたいで気持ちが悪いと私は思うなぁ。
日本のプレゼンターは男性は紫色のブレザーをそろえたが、首相はいつもの黒っぽいスーツに金色の「勝負ネクタイ」。他国からは「なぜ首相は同じ服を着ていないのか」との声が上がったという。
皇室にお出ましいただけなかったと宮内庁批判はしないのだろうか。
驚愕!中川昭一死亡!
- NHK総合テレビ午前10時ニュース。
- サンスポ(2009.10.4 09:59)「ベッドでうつぶせになって死亡していた。外傷はなく、事件の可能性はない」
どうやら警視庁が発表したようだ。
- テレビ朝日サンデージャパン(10:19)警視庁発表を番組内で読み上げる。
敗戦一週間後に開かれた十勝連合後援会が帯広市内で開かれたが本人は事務所の引っ越し作業のためという理由で欠席していた(十勝毎日新聞2009年09月07日 14時02分 )。
- 救急隊が到着したときにはすでに死亡しており、病院には搬送されなかった(msn産経ニュース2009.10.4 10:43)。
- AFPBB(10:47)も東京発として報じる。
- AP(10:57)は死因は調査中と報じる。警視庁の女性報道官によるとすべての詳細は不明と。
- 時事通信社(10:44)これまでに、遺書のようなものは見つかっていないという。
- 朝日新聞(10:56)妻が3日午後9時すぎに帰宅した際、中川氏は寝室のベッドで眠っており、寝息を確認した。
- 毎日新聞(11:02)午前8時18分に119番通報が入った
- 日刊スポーツ(11:08)自民党北海道連の竹内英順幹事長は「北海道を背負って立つ衆院議員だった。一次産業に対するこれまでの貢献は誰もが認めていた。とにかくショックだ」。
- 読売新聞(11:08)遺体の状況から死後、4,5時間が経過していたとみられる
- スポニチ(11:26)河村建夫前官房長官は共同通信の取材に対し「落選の衝撃が大きくて心身ともに疲れていたのかなあと思う。中川氏の政策能力は高く、将来の日本の政治を担う人だった。再起を期してくれると思っていたので本当に残念だ」と述べ、肩を落とした。
- 日刊スポーツ(12:08)「3日ほど前の早朝に、コンビニの買い物帰りの中川さんとあいさつした。表情は暗くて元気がなさそうだった」「以前は自宅の庭いじりをする中川氏の姿を見かけたが、最近は庭の手入れもされず花も枯れていた」「報道陣ややじ馬約100人が集まり、騒然」
これまでの報道だと死亡推定時間は午前3-4時ということになるのだろうか。直ちに他殺の可能性を排除してしまうのは如何なものだろうか。どうも全体的にこれまでの報道を見ると病死という方向に絞ってしまったかのような感がある。
- 時事通信社(12:25)町村信孝元官房長官は取材に「ただただ驚きの一言に尽きる。信じられない」と語った。最近、中川氏と食事をともにした古屋圭司衆院議員は「新しい保守のグループをつくろうと話していた。元気そうだった」
- 北海道文化放送(12:29)連合後援会の岩野洋一会長は「苦しかったところを応援できなかった。ちょっと残念だなというふうに思います。われわれも新しい後援会をつくりながら、そしてわれわれもまた、別な角度から応援していこうよということで、決めたばかりだったんですね。ちょっと悔しいな」
- 北海道文化放送(12:30)中川元財務相の父・中川一郎氏の秘書を務めた新党大地・鈴木宗男代表は、「もっともっと、お互い話すことがあったんでないかなと、こんな今、思いですね」
- msn産経ニュース(12:41)検視の結果、死後10時間前後が経過しており、死因は不詳と判断された。目立った外傷はなく、監察医がさらに詳しく死因を調べる。
- テレビ朝日(12:51)検視の結果死因不明。解剖へ。短パンにポロシャツの格好で死んでいたという。
ようやくこの人のコメントが出た。さすがにご用マスコミだけのことはある。と、思ったら他紙も全く同じ文面を載せていたのだから、どこかからの配信だったようだ。
- msn産経ニュース(13:00)麻生前首相は「非常に大きなショックを受けている。自民党の再建に向けて、次の世代を担う大事な人材だった。衆院選の結果を厳粛に受け止めて、再起を期すことを期待していた矢先だった。麻生政権では、財務・金融担当相として、世界の金融危機への対応に卓越した力を発揮して、内閣を支えていただいた。今は、言葉にならない位にショックを受けており、慎んでお悔やみ申し上げます」
- msn産経ニュース(13:04)鈴木宗男衆院議員は札幌市内で会見し、「複雑な思いだ。とにかく驚きと悲しみでいっぱい。政治の世界は私自身の経験を含めて、厳しい所だとつくづく感じた」などと目に涙
- サンスポ(2009.10.5 05:01)「アルコール依存症の方は肝硬変に近い状態に陥っていることがあり、心筋症を起こしやすい。(中川氏の場合は)1度やめたアルコールを再び飲みだしたことで、アルコール性心筋症の発作を起こし、急死した可能性が高いと思われます。50代で死ぬケースが多いですね」
日曜日のテレビ
フジテレビ「新報道2001」
民主党野田佳彦財務副大臣が出演。フジテレビ側は3兆円も無駄を見つけられていないじゃないか、景気がどん底になっている状態の中で補正予算を引き締め直すというのは間違っているじゃないか、麻生があれだけばらまいたからこそこの程度で保っているものがこれだけ削減したらもっと悪くなるぞと主張。野田が何を言おうと出演者がよってたかって押さえつける。自民党の茂木の方がなんぼか大事にして貰っている。さすがのフジサンケイ系なり。
民主党連立政権の行く方向性がわからないという主張の仕方をするのだけれど、そのままの主張をなぜ自公連立政権に対してはしなかったのかと聞いてみたい。
江上剛はやっぱりその出自の呪縛から逃れられない。
どうしても気になる
最近、テレビだけでなくてブログの書き込みでもそうだし、イベントでのインタビューでも多くの若者たちが自分の相方を「うちの奥さん」と呼んだり、「うちの旦那さん」と書き込んだりする。それはちょっと恥ずかしい。第三者に自分の身内のことを語る時にそれはないだろうと気になってしょうがない。それを指摘してもどうしてそんなことをいわれるのだろうかという不思議そうな顔をする。
自分がこの上なく愛しているのはよくわかるし、丁寧に扱わないと何を言われるのかわからない恐怖があるのかも知れないけれど(そんなわきゃないだろうけれど)、そう使うのが当たり前になっている。「うちの女房が」とか「山の神が」とか「奥が」とか「連れ合いが」とか「かあちゃんが」とか「女房が」とか「うちのやつが」とか、他にもいろいろあり得るのだから、お願いだからそっちをお使い頂きたい。
自分の親のことを語る時にも「うちのお父さん、うちのお母さん」とつかう。小学生じゃあるまいし、それは格好悪いし、教養のなさ丸出しに見える。一頃話題になって一気に見下ろし目線の視聴者に支持されたようなバカ丸出しタレントじゃないんだから、それくらいのことは早めに身につけた方がよい。
身内を尊敬するのはもちろん素晴らしいことで、讃えられるべきであるし、それを人前であらわにしても良いけれど、そんな使い方は家に帰ってからやって欲しい。地下鉄のマナーポスターじゃないけれど「Do it at your home」なんである。うちで好きなだけ「旦那様!」「奥様!」とでも。
ま、そんなのは爺が好きなだけ吠えてりゃいいだろう、てなものか。
共通項
新銀行東京、八ッ場ダム、東京オリンピック。
実行して良かったのか、実行しなくて良かったのか。
今年の4月10日の都知事記者会見(東京都のサイト上の記者会見議事録テキスト版)
【朝日新聞記者】あと、もう1つ、すいません。都庁内および都議会内で、オリンピックの開催都市が決まる10月で、オリンピック招致の成否に伴って、わかりやすく、石原さん、途中でやめちゃわないかというような声がありますけども、そこはどのようにお考えでいらっしゃいますでしょうか。
【知事】さあー、これは、やっぱり勝ち方、負け方の問題だろうね。うん。それは結果、見なきゃわかりません。勝敗は兵家の常(へいかのつね)っていうけどさ、しかし、そういってうそぶいて過ごすわけにもいかないかもしれないし、際どい戦いならば、次にまた望みを託してバトンタッチすることになるかもしれないし。しかし、やっぱりね、今の日本の状況を眺めていて、うーん、オリンピックというね、イベントがやってきたら、日本人はかなり新しいパターンのオリンピックつくることはできると思うし、それでまた日本の存在感がね、出てくると思いますね。
実は、昨日だか、一昨日、私ね、外人記者クラブ(日本外国特派員協会)で久しぶりに講演したんです。もともとあそこのアソシエイトメンバー(準会員)なんだけども。で、いろいろね、反応を聞いているとね、どういったらいいのかな、やっぱり環境問題にみんな関心ありますね。
それで、西洋人の言葉なんだけど、開高健(小説家)がたまたま引いてきたね、ゲオルグ(東欧の作家)の詩を、ま、何かの一つ覚えで、私も記者クラブで披瀝(ひれき)しましたらね、やっぱり記者のほとんどはそういう文句知らないで、ね、改めて「たとえ地球はあした滅びるとも、君はきょうリンゴの木を植える」というのは、開高が紹介したゲオルグのあの美しい詩の一節は、やっぱりそこはかとない危機感を持っているメディアのね、東京にやってきておる外国人の新聞記者だから、ある選ばれた人でしょう、あるレベル以上の教養があるんだろうけど、彼らはみんなやっぱりそのことをね、非常に強い印象を受けたって言っていましたが。何も私のメッセージじゃない、これはやっぱりゲオルグという人のメッセージでね。
いたずらに危機感をあおることもないけども、しかしやっぱり、まことに不本意な現実があるわけだから、こういったものをね、共通の認識としてどれだけ強く持つかということで、東京は、条例を変えてですね、ICAP(国際炭素行動パートナーシップ)に入る資格もつくりました。そういうことは、やっぱり、だれが評価してくれるかしてくれないかわかりませんけども、今、都の行政を預かっている責任者としては、私が当然すべきことだと思います。はい、ほかにはいかがかな。どうぞ。(以下略)
途中から聞かれてもいない環境問題に如何に自分が考えているのかということをゲオルグの一行を引いて巻き込んでオリンピック招致に対する責任のあり方についてはうやむやにしてしまった。朝日の記者も若者らしくて、そのままにしてしまったのはちょっと残念な気がする。
彼がこの先の一年半をひたすら挽回のために(なんの?)、身を粉にして真摯に取り組んでいくだろうかという点についてははなはだ疑問が残る。もっと自暴自棄に陥って周囲の人間を罵倒しないとは限らないからだ。
石原の名誉(そんなのは通常私は頓着しないのだけれど)のために書いておくけれど、スポーツ報知の記事(2009年10月4日06時02分)にあるような「どういうつもりで、そういうつまらん質問をするのかね」という発言は少なくともこの会見ではなされていない、本人が心の中でどう思っていたのかは別として。
「誰に聞いても東京のプレゼンは圧倒的に良かったと言う(msn産経ニュース2009.10.3 09:16)」という石原の発言は落選決定の直後とはいえ、「殿、お気を確かに!」いって差し上げたい。誰だってあぁたに「どうだった?」と聞かれないまでも、「良い、プレゼンでしたっ!」っていうに決まってるものなぁ。それ、反省に至っておりませぬ。
Foxfire
Firefoxの間違いじゃないのか、といわれてしまいそうだけれども間違いじゃなくて「Foxfire」という教育活動というか、その結果として何冊も出版されている本の話でもある。ちょうど2年前にその40周年本をAmazonで入手した。その時もこれは立派なオーラルヒストリーであるけれど、英語を母国語としない私にははなはだ読みにくい事情にあるということをこちらに書いている。そもそもFoxfireの一冊を入手したのは友人が見せてくれたある雑誌に掲載されていたことに始まる。
40年にわたって、高等学校の先生が指導して高校生たちが地域の高齢者にインタビューをし、それをそのままに写真とともに掲載し続けてきたわけで、それがそのまま地域の伝承となっていて、テキストにして保存されるという活動である。
今でこそ、こうした活動はビデオ化されて保存され、それをそのままネット上で利用できる環境が大きく前進し、よりニュアンスが伝わりやすくなってきているが、かつてはそれをテキストで再現して伝えるしかなかった。民俗学の研究者によって広く活用されるようになってきた技術のひとつであるけれど、これがひとつの研究対象にまでなりつつある。
日本オーラルヒストリー学会というものがあって偶々そのHPを見つけたら今年の発表の中にこのFoxfireを題材として発表している人がいることに感慨を新たにしているところで、念のためと思って「Foxfire」をGoogleで検索してみたら「森の聞き書き甲子園」なるものがヒットした。
これはなんだろうと見ると「林野庁・文部科学省・社団法人国土緑化推進機構・NPO法人共存の森ネットワークの4者からなる 実行委員会が実施するプロジェクトで、毎年、日本全国から選ばれた100人の高校生が参加」するものでこちらサイトには「Foxfire in Japan」としてある。
確かにやっていることは高校生を対象とした教育活動の一環として地元の伝承文化を残すことを自ら参与して行うという点で似たところはあるかも知れないけれど、ジョージア州Rabun Countyで進められてきた活動はその対象が限定されているわけではなくて、テキスタイルや楽器造り等々様々な分野に広げられてある。
しかし、この日本版はサイトを見るとよくわかるけれど、様々なスポンサリングを得て、役所と一頃話題になった天下りと予算の無駄使いで話題を呼んだ公益法人をNPOと組ませたいかにも商業ベースに乗せたイベント屋が考えそうな活動のニオイがぷんぷんとする。コマーシャルな活動として仕組む以上、多分Foxfire Fundには何らかのコンタクトをとっているだろうとは思うけれど、基本的な姿勢をこうしてぶちこわすことにはあまり賛成ができない。そんな名前をかたる必要が一体どこにあるというのだろうか。日本の林業の現状を広く社会に知らしめるということにまず一義があってそのために若者の教育をかねて注目度を上げるということには確かに意味があるかも知れない。そのためにはもっと真正面から取り組んでも良いのではないかという気がする。