ほぼ足りてまだ欲 その先

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義によって助太刀致す

今日は月曜日だから高齢者福祉特別研究の授業があるはずなのだが、先週実習を行ったので、その代わりの休講。だから、学校に出向く気はない。とりあえずは朝一番に歯医者に行かなくては。 放って置いた虫歯が土曜日の夜から痛み出している。 そろそろこうしていると、すぐに総入れ歯になってしまいそうだぞ・・。

毎週木曜日に先生が担当している講義が今やたら熱い! その講義を学校のHPにアップする。
録音したテープから文字を起こすのに多くの時間を割いている。それでもそれから読み直してみると聞き逃していることがたくさんあるのに驚く。 今日はまぁ、初めてだからこれくらいにしておこう。 みなさん、ご意見お待ちしています。 実は既に全体をやり直すことになってしまった。 いつでもこうだ。何しろとにかく足を踏み出す。それから考えるからやたらに修正が多い。人生もすべてそのままといってもよい。
 一日家に籠もってテープ起こしに専念した。「ボランタリズムの可能性」という恩師の授業のテープである。これまでにこの授業に来られたスピーカーの方は現沖縄大学の教授である宇井純さん、常盤大学社会学部教授の吉永宏さん、「難民を助ける会」事務局長の長由紀枝さん、神戸元気村をはじめボランティアとして活動している吉村誠司さん、前シャプラニール事務局長の下沢嶽さんと錚々たる実践家のみなさんである。みなさんのお話をお伺いして共通に感じるのは、大変に身軽にその第一歩を踏み出してきていたことと、公の力をあてにしないで今まさにこの時点で困難に直面している人たちに手をさしのべる、その義の心である。
 まさにこれは義侠心という言葉で表現してもよいのではないだろうか。宇井さんは「義によって助太刀いたす、という心」と表現されていた。
 これまで自分の周りの状況に身をゆだねて漫然と自分だけを守りに入っていた状態はなんだったのかと考え込む。多くの人々の多くの体験をまさに全身に浴びてみると世の中捨てたもんじゃないなぁと、一端絶望した気持ちが再生してくるような気がする。
 テレビタックルで大竹某が「一般人を心配させるなよ!」と北朝鮮交渉を揶揄していたが、まさにその通り。今の与野党にはプロとしての見識はない。民主政治というのはその一般人から選ばれてやっているのだから素人なはずでその意味ではプロでないのだから、しょうがないといえばしょうがない。ならば、あたかも自営業のように相続政治家ばかりなのはなぜか。それを唯々諾々と選出する選挙民は何か。それよりもなによりもその選挙にも行かぬ選挙民は何か。自らの生活を放棄しようとするのはなぜか。たった40%にも満たない投票率なのはなぜか。