ほぼ足りてまだ欲 その先

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神戸の震災から10年

 新聞もテレビジョンもラジオもみんな朝からこの10年を語り続けている。だから何も自分が触れなくても良いか、と思っていたけれど、当時のことをそのままにしておくのもちょっと、と思い少し触れよう。 
 あの日、私は母の岡山の実家にいた。従兄弟が急死して葬式を出した翌朝のことだった。田舎のことだから、座敷にしつらえた段飾りはそのままになっていて、その前に蒲団を敷いてねていた。ガタッと来た時東京でいつでも地震におびえながら暮らしていた私は反射的に飛び上がって玄関の扉を開けた。今は亡きおばちゃんはその頃膝が曲がらずに立ち上がりにくい状況にいたが、私は彼女の存在を失念していた。収まってから、慌てて見に行った。ほとんど地震の経験のない岡山では相当大きい地震として捉えられていたけれど、まさか神戸があんな状態だとは思わず、いつもの習慣でNHKのテレビをつける。それからはテレビの前に釘付けで全く動くことができなかった。
 当日は既に帰京を完璧にあきらめ、二日後に岡山→仙台の飛行機の切符を入手し、仙台から東北新幹線で帰ってきた。半年後の転勤が決まっていたので、会社に出ることが至上のテーマだった。
 その年の2ヶ月後に起きたオウムサリン事件もそうだけれど、当時の私は自分の人生を考えることばかりだったし、そんなつもりは全く自分の中になかったと思いこんでいたんだけれど、どんな障害が存在しようと出社することがプロとしてのサラリーマンのあり方だという意識が根底にこれでもあったらしいというのが本音である。ひとりの正にそこに存在する人間として今何をなすべきか、何を考えるべきか、ということは非常に重要なことである。それが無意識のうちに行われるのであれば理想的であり、意識してそう考えるようにしようという確認もそれはそれで重要である。
 しかし、組織の中で「絶対主義的全体主義」に犯されると何よりもかによりも組織至上の思考となってしまう。そうなると周りでどんなことが起ころうと、どんな被害者がいようと、自分の現場に走ることになる。そしてそれが評価されるというのがかつてのそうした職場のあり方であった。
 10年前のこの災害が日本のボランティア活動普遍化の先駆けだといわれているが、こうした組織至上主義が時代とともに変化しつつあるという動きと関係がないわけはないだろう。