ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩と図書館

看板建築店舗もそろそろ消滅しそうですね

 どこへでも旅行に行けばいいんだけれど、長時間の公共交通機関利用がCOVID-19だけじゃなくてインフルエンザやらなんやら感染する可能性が否定できない以上、なかなかそんな勇気が出ない。そう表明すると「俺と逢う気がないということなんだな!」と受け取る人が多いようで、この3-4年でお付き合いの範囲が随分狭くなってきたような気がする。大学時代の友人も、シドニー時代の友人もほぼそんな感じで連絡が来なくなった。いくら説明しても、冗談でいっている、つまり自分を避けようとしている、というように取られているらしい。
 日頃の自分の言動がそうさせているということなんだろう。

 散歩のために家を出るんだけれど、この時期、それほど花が見られるわけでもないので、あんまり楽しくはないのだけれど、街角の変化には、昔にくらべたら気がつくようになった。何しろ昔は周りを見ながら歩くなんてことは殆どなかったということではある。





news.yahoo.co.jp

 宝塚歌劇団の発表によるとパワハラといえることはなかった、ということのようだけれど、非常に簡単な発表で、この組織がことの重大さを全く捉えていないことが判明した。というか、最初の彼らの発表ですでにわかっていたことで、組織がどれほど真剣な体制を組んでいるのかどうかというスケールからみると、この組織は全く、今でも、気がついていない。

「客観的に精神障害を発病させるおそれのある強い心理的負荷であるとされる場合に相当する程度の強い心理的負荷が故人にかかっていた可能性は否定できないと考える」
業務委託契約だが、当団のために活動するのであり、健康管理などが十分でなく安全配慮義務を十分に果たせていなかった」




www.sankei.com
 11月4日に開催されたイベントでの出来事を12日になってからの記事になっていた。
「参加者の外国人と日本人がトラブルになり、外国人が区民の女性に対し「神はあなたを殺す」などと暴言を吐いていたことが12日、複数の関係者の話で分かった。区民の女性は「外国人がどんな言葉に反応されるか分からず、怖い」と話した。」という記事。実際には主催者に対する取材がまったくなかったことが14日の主催者側の会見で判明。
 会場では「写真撮影は禁止」とされていたけれど、当事者は動画を撮っていて「写真は禁止とされていたけれど動画については書かれていなかったし、やっていたのは自撮りだった」と説明したそうだ。
「運営者側とみられる男性らの一人で、立憲民主党所属の区議」と記事中にされている区議は主催者ではなかったことも判明している。為にする記事というのはいくらでもこのレベルの媒体だと出てくるなぁという印象は拭えない。荻上チキのTBSラジオ「セッション」でも取り上げられている。



 時は1755年11月1日である。奇しくも関東大震災と同日であるが、270年ほど昔の話である。今のスケールでいうと、マグニチュード8.5-9.1ほど、日本の震度でいえば7に相当する巨大地震で、一時間半後に三波にわたる津波に襲われたという。欧州に地震はないんだ、と思いこんでいたので、この本の広告を見たときには、一体何の話だろうと思った。こんな昔の話なので、なかなか日本語の資料があるわけではないらしい。

 ところで英語でもポルトガル語でも津波のことを「TSUNAMI」と表現するとGoogle翻訳がいうんだけれど、この時代にあっては津波をなんといっていたんだろうか。まさか、「TSUNAMI」じゃないはずだろうに。

 実はこの地震については2015年3月に「(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構 研究調査本部」が発表した「リスボン地震とその文明史的意義の考察」という資料がある。ここには「ポルトガル人はいつわかるかわからないことに関して考えることが苦手だ」というリスボン工科大学のC.S.オリベイラ教授の言葉が象徴的だ。それにしても1755年の地震以降、1906年にちょっと大きな地震があったくらいで、そのままだというのが非常に意外である。なんであのときだけそんな大きな地震が起きたんだろうか。



 「慰安婦は契約による売春婦」という論文を書いたことで名を馳せたハーバード大のマーク・ラムザイヤーは関東大震災についての論文も書いていて、その論旨は「虐殺否定」というものだったそうだけれど、その裏付けは良くある虐殺否定論と同様、当時の新聞記事に多くの記事が出ているというものではないかということらしい。歴史修正主義者の連中がよく持ち出すものと大差がない。