ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

テレビジョンで観ても充分楽しめる映画

 テレビジョンを何げなくつけてお昼をいただいていた。どのチャンネルに回してもくだらないタレントが出てきてなんの意味もない騒ぎをえんえんと映し出しているものばかりで、半分画面を罵倒しながらチャンネルを移動してきたら、WOWOWがまた映画だった。
 ニューヨークの通りを歩きながらいわゆるええ格好しいの男がそいつにあこがれる青年になんだかんだと語り、自分のやり口を見せる。大物のように自分を見せて、その実はそうでもない自分を自分で騙しながら世の中を舐めて行く典型のような男が映っていた。これで何が起きるのか、何となく予感がしたのか見入ってしまった。連れ合いが作るおいしいもやし焼きそばを食べ終わってもこの映画に捉まってしまった。関わる人間をじっくり見せるというよりは、一瞥でその人間のバック・グラウンドに思いを至らせるのはこの映画の監督、ジョエル・シューマッハの術中にはまっているのか、はたまた私のあさはかな経験則の結果による裏の浅い読みによるのか。この映画の登場者の一人一人、例えば、ストリート・ガールや、ストリート・ガールズの用心棒、ピザの配達人、警部、ネゴシエーター、妻、ガール・フレンドといったそれぞれの生活、感情、考えを取り上げてそれぞれ一本のストーリーとして作り上げることが可能だと確信してしまったなぁ。だれかやらないかな?最後のどんでん返しには思わず「あっぱれ!」と喝采であった。映画の題名は「Phone Booth」、主演Colin Farrell。
 なぜかしらないけれど、日常の生活の中で自分を騙しながら世の中に自分の存在感を醸し出しているかのように錯覚をして生きている人間が、その罪深さを結果として認識せざるを得ない状況に陥る、そんなストーリーの映画や小説って人を惹きつける。なんでだろう。
 例えばどこかの呑み屋で酒に振り回されながらあぁでもないこぉでもないと唇の端に泡を飛ばしながら、回らぬろれつをまわしながら、語っている時に思いっきり断言したりして自分を騙していないだろうか。そうでもないのに自分を装っていないだろうか。そんな風に装っていったい何の足しになるのだろうか。実はなんの足しにもならないのになぜか装ってみたくなる。そんな自分を呪う。