ほぼ足りてまだ欲 その先

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見る、見ない

 世の中には何の苦労もなく実に余裕たっぷりに生きてきた人もいれば、表側に出ることもほとんどなく、いったい何でこんなに人によって世界が変わってしまうのかと思うような毎日を送っている人もいるわけで、その一人一人の価値観も、危機感も全く共通のものなんてない。だから、「幸せ」っていう状況だって、一人一人で中身が全然違う。あぁ、あの車を買うことができないなんて、俺はなんて不幸なんだと思っている人もいれば、お、夕方の食い物を確保できたぞ、今日はなんてラッキーなんだ、と思っている人もいる。
 ほぼ共通な金銭感覚、共通な幸せ感覚を持っている人たちの中に一人でも全くそのスケール感が違っている人が入ると、そこで何が起きるか。
 見ていても見ていないふりをする、あるいは見えないことにする、ということが頻繁に起きる。人間というのは不思議なもので、見ていることが相手にわかってしまうと何か責められているような思いに駆られてしまうからだろう。だから、道路っぱたにホームレスじゃないかと思われる人がたたずんでいると、見ていないふりをする。なんだよ、自分が悪いんじゃないのか、と思いながら。
 今やもう日本ではホームレスの人だって勤勉で、昔のように「右やぁ、左のぉ〜旦那さまぁ〜」なんてことをやる人はほとんど見たことがない。外国のように紙コップを片手に持って中に入っているコインを「チャラ、チャラ」鳴らしてはいない。朝早くから自転車で街を流してアルミ缶をどっさり集めていたりしている。
 しかし、そんなに動ける人ばかりじゃないだろう。そういう人たちはいったいどこでどうしているんだろうか。
 ニューヨークにはホームレスらしき人がたくさんいる。年齢も様々だ。理由を書いたボードを胸に抱えてたたずんでいる人もいる。すると、本当に何ともない普通の人が通りすがりにコインを入れたり、サンドイッチを渡したりしている。
 欧州に行くと大きな教会の前や駅の周辺には移民とおぼしき人が紙コップを抱えて、つらそうな顔を見せるというシーンがあちこちに見られるけれど、あれの場合はどうも組織がらみな気がしないでもない。
 今やかなりの割合で若者たちは派遣やアルバイトという形で仕事をしている。今年になって「景気は回復基調」なんだという刷り込みのおかげで、大卒の就職活動はかなり楽になっているらしい。問題はいつまでこの状態で世の中を騙していけるのかということだろう。しかし、正社員率は確実にどんどん下がってきている。
 これまでの人生の中で派遣であちこちの職場に行っていた人たちをやっぱり大人は警戒心を持ってみている様子が見える。そうした環境の変化を推進してきた人たちの多くはイニシアティブを取ってきた方たちで、自分の子どもたちも高等教育を受けて、世の中の表にいるものだから子どもたちと同年代の非正規労働に従事している彼らのことがわからないらしい。
 そんな中で、そんな立場にいないわが子の話をすると、ほとんどの人は凍り付いて、聞かなかったふりをしそうだ。