ほぼ足りてまだ欲 その先

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病が失政をあやめる

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 幡ヶ谷のバス停で、64歳のホームレスの女性が近所の46歳の男に殴り殺された。石の入ったレジ袋で殴られて、外傷性くも膜下出血が死因だった。昨年の暮れには埼玉に住む弟と介護施設に暮らす母親のところにクリスマスカードが届いたと、昨日現場にやってきた弟さんが取材に答えたんだそうだ。つまり一年前は普通の生活をしていたと云うことだ。
 最終バスが平日は午後10時44分、土日祝日は午後10時24分に出てしまうと、このバス停にやってくる人はいないはずだということになる。近所の人がいうには、ここに彼女がいることに気がついたのは夏頃からだという。それまでの半年の間、どこにいたのだろうか。始発が来るまでの間、彼女は静かに座っていたそうだ。
 それを46歳の男は邪魔者だと思っていたというのだ。別段、その男に対してちょっかいを出すわけでもないし、ただ、座って寝ていたという。それなのになぜぶん殴るほどに彼は思っていたのだろうか。「痛い思いをさせればあの場所からいなくなると思った」と供述しているという。彼は近所に引っ越してきた人に対して、設置したアンテナが視界に入って邪魔だから取り外せといっていたというのが気になる。病的な雰囲気がする。現状の変化に対して異常なまでの固執をするというのはある意味の病性を感じるのだ。つまりあの男性にとっては、どこかからやってきて、夜中に座っていた女性は、あとからやってきたアンテナと同じ存在であって、人間性とか、物質性とかなんでもいい。
 彼女はなぜその半年の間に、住む家をなくしたのか。独り者だったのか。何を糧にしてどこに暮らしていたのか。

 女性のホームレスはホームレス全体の3%に過ぎないそうだけれど、確実にいる。うちの近所の商店街にも、以前はふたりおられたが、おひとりはもう何年か前に見なくなり、今はいつも50cm程のビニール鞄を持っていて、その上に座り込んでいる人がおひとりおられる。街の人たちは見て見ぬ振りをしている。毎日おられるので、少なくともどこかで何かを食べられているということだろうか。ニューヨークなんかに比べたら目につかない。それは目につかないところへ皆さん避難しているからだ。そういう点では、この64歳の女性はまだ経験が浅いところが救いでもあるが、それが余計に苦しいところだっただろう。人目を避けて糊口を凌ぐというのはなかなか難しい。出かけていかないとチャンスがないということだからだ。ニューヨークのように、街中にいて、夜は地下鉄の構内なんかで凌ぐというのであれば、まだ、ひと目について厚意を受けるチャンスに恵まれる。そしてニューヨーカーはごく普通に施しをする。受ける方も好き好んでこうなったわけじゃないから、受ける権利がある、と思っているスタンスにいたりする。それだけあっけらかんとしている。
 バンクーバーで見たホームレスが立てかけていたボードには「私は、自分が怠慢な人間だとわかっている。わかっているけれど、助けて貰いたい」と書かれていた。

 問題は、国の政策が容易にホームレスを生み出すシステムのまま運営されているということだ。非正規労働制度がどんな国を作り出しているのか、という点を私たちは認識する必要がある。

 このままで良いわけがない。