ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

天然生活

 先日ある方のブログを読ませて頂いていたら、この雑誌のことが書かれていて、先月号に「旅の記憶の残し方」という記事があるということであったので、代金振り込みを選択してバックナンバーを申し込んだら、すぐに来たのはよいけれど、代引きになっておった。振り込みだからいいやと家人にもいっていなかった。宅配便から電話を受けた家人は「なんとか詐欺じゃないかと思った」という。無理もない。どんな具合に旅を記録するのかと開いてみると、この雑誌は多分30代くらいの女性の方をターゲットにしているらしく、自分が一度出かけたポルトガルに後から行くという母親のために自家製旅ガイドブックを作るというところから始まっている。 開くまでも「記録」の残し方ではなくて、「記憶」の残し方としてあるところが味噌である。料理の頁は炊事当番の時のことを考えると使えるだろうと思うなり。だけど、こうした誤解と錯覚とつたない演技で作られているこの種の雑誌は一体何誌あるというのだろうか。
 そうそう、雑誌といえばこれまたある方がブログに書いておられた「フライの雑誌」(あとから調べたらまだ刊行されているではないか)というものを昔買っていたことを思い出す。流行に流されるわけではない、とても文学的とでもいってしまいそうな釣りの雑誌であった。なんで、あんな雑誌が作られていたのだろうかと不思議である。
 そういえば釣り竿を放り出してからもう既に丸7年が過ぎた。フライのことばかり考えていた時は一体何時になったら六角ロッドを持てるようになるのだろうかと思ったものであった。初めて銀座のデパートの催事場で安物のフライロッドを見た時のことは今でも覚えている。ボール紙の箱の中にロッド、リール、ドライラインといった一式が入っていたもので、私はその箱をためつすがめつしていたのだけれど、ついに手にとって金を払い、家に持って帰った。多分その次に買ったのは芹澤の「フライフィッシング教書」だったのだと思う。周りに誰もこんなことをやっている人がいなかった。
 一度だけ、ある人がドライ・フライで鱒を釣り上げたところを見て私は仰天してしまったのである。あの人もきっとあんな池でレインボウが来るとは思わなかっただろう。一緒にいた私はただただ驚いてしまったのだ。
 そういえばあの道具を私は一体どこにおいているのだ・・・?