ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

浜離宮

 今日は誕生日で、夕飯に海老フライを作ってあげようかねぇ、と云われていたのでそのつもりだったんだが、昨日になって浜離宮へコスモスを見に行って、その足で知り合いの鰻屋でランチというのはどうかという誘いに乗った。海老フライも捨てがたい。そのうち、出し抜いて一人で三本セットか、まだ入ったことがない近所の評判のトンカツ屋に行ってものすごく大きな一本ものの海老フライを食べてやろうかと思っている。その店ではメニューの海老フライに「時価」と書いてあるそうだ。
 都営大江戸線築地市場駅で降りて、A2の出口で地上に這い上がる。前に来た時はここのエスカレーターがなんかの工事で使えなくて、えっちらおっちら階段を上がった記憶がある。あれは銀座中学の傍の蕎麦屋の二階で年に一度開かれる落語会の日だったと思う。朝日新聞に沿って新大橋の通りを歩くと、左側は解体されて更地になった元の築地市場、青果門。白い塀の間から覗くと広大な空き地だ。なんでここにPCRセンターをぱっぱと中国のように建てて、COVID-19撲滅を図らなかったのか、小池百合子に聞いてみたい。そういえば、彼女は最近自分に火の粉が降りかからなくなったもんだから、もっけの幸いと知らん顔を決め込んでなんもしていない。無策の都知事の責任は大きいぞ。
f:id:nsw2072:20201014015207j:plain:w240:left 気持ちを収めて浜離宮への橋にやってくる。時あたかも昼飯時で、近所のオフィスでお仕事の皆さんが三々五々来られる他は、爺さん婆さん連中で、ゲートで年齢証明をお目にかけようとポケットを探っていると、係のおばさまが「大丈夫ですよ」と仰る。そりゃ誰が見たって65歳は超えた二人連れとわかろうというものだ。こういう時に必ず永六輔江戸東京たてもの園で、証明するものを持っていないからシニア料金を適応できないと断られて憤懣やるかたないと訴えていたのを思い出すんだが、ここでは300円がかわいらしく150円になるというだけだが、これだって半額だからなぁ。中に入るとすぐの大きな木の木陰のベンチでコンビニおむすびをとりだしている人たちもいる。
 東屋傍のベンチで、ゴロッと横になって寝ている人もいる。小砂利が敷いてあると、乳母車のお母さんがなかなか大変だ。樹齢のいった立派な松、同じく、大銀杏(ッたって相撲取りの髷じゃない)、あまりにも枝が張っているのでそれと気がつかない百日紅なんてのが芝生の中に鎮座ましましている。昔からこんな具合だったのだろうか。
f:id:nsw2072:20201014015304j:plain:w360:right ちょっと先にキバナコスモスの一画が見えている。その手前の一画は辛うじて残してあるという風情のコスモス。そのまた手前はもう花が終わってしまったので、全部刈り取ってしまった一画。コスモスはもう終焉を迎えている。キバナコスモスも、様々入り交じって植えてあるので、色が見事だ。何人もぶっとくて長いズームをつけたデジタル一眼レフカメラを振り回している人たちがあちこちにいる。そして、お婆さん仲間が巡っている。カメラを持っていないお爺さんはいない。ふと気がつくと、空は黒い雲が張り出してきている。ひと雨来てもおかしくない。ちょっとぐるっとして、芙蓉や十月サクラを見ながら出口へ向かう。昔はもっと奥までいって中島の御茶屋へ行ったもんだが、今日はこのあとがある。
f:id:nsw2072:20201014015425j:plain:w240:left 生まれて初めて浜離宮へやってきたのは中学三年だったか、もう中学卒業式が終わった頃だったかに同級生たちと遊びに来た。開園時間前に到着してしまって、門の前でバレーボールをまあるくなってやった記憶がある。山田さんや斎藤さんといった女性軍はちらほら覚えているんだけれど、男性軍が誰だったのか、全く思い出せない。しかも公園の中でどうしていたのかも覚えていない。その後は高校の同級生と良く散歩に来たことぐらいしかなかったと思う。カブスカウトを連れて船に乗ったのが最後だったのではないだろうか。だから、ほぼ三十年ぶりくらいの浜離宮だった。
f:id:nsw2072:20201014015531j:plain:w240:right 高速道路の下を蓬莱橋へ向かって北上する。中銀カプセルの先を右に折れて横丁に入り、お客さんを迎えのタクシーが止まっている竹葉亭本店の前を通っていくと、その先の角が知り合いの鰻屋だ。多分去年の8月以来来ていない。今まであんまり気にならなかったんだけれど、結構階段が急だ。それでもそこそこお客さんが入っていた雰囲気で、安心した。今日はつれあいの奢りだというから、「蒲焼大丼」にした。心の中は「蒲焼大丼・上」に傾きかけたが、そんなに食べてはいけないと自重した。成長の跡が著しい。誠に美味なるものをランチに食して満足だ。多分半年ぶりの鰻だ。
 頑張って四丁目まで歩き、教文館に入っていよいよ平凡社「こころ」の最終号を手にする。表紙の左の上に小さく「最終号」と書かれている。巻頭に嵐山光三郎が書いていて、彼の文章にも随分久しぶりに遭遇したと思ったのだけれど、彼はなんと「月刊太陽」の編集人だったと書いてある。知らなかった。それによるとそもそも「心」という雑誌があって安倍能成武者小路実篤辰野隆、長與善郎、佐藤春夫等を中心に始め、1981年まで33年間続いた雑誌で、1970年代半ばから串田孫一編集で平凡社から出版されていたのだそうだ。全く知らない。そしてこの隔月刊「こころ」が創刊されたのは2011年の6月だというから、東日本震災のあとだ。全く知らなかったこの雑誌を8月に知った理由を思い出さないが、教文館の一階で、「こころと云う雑誌はありますか?」と訊ねて初めて手にしたら、「次号で休刊です」と書かれていて大変にがっかりした。なんで前から知らなかったのだろうかと。朝日新聞の月刊論座講談社の月刊現代が終わってしまってから、月刊論壇誌といったら、岩波の月刊世界しか思いつかない。他は文藝春秋か、偏執狂的人種差別雑誌くらいのものか。
 都営浅草線の宝町へ向かおうと足を踏み出すと、アップルストアの前に妙に人だかりがある。新製品の何かが売りにでたわけでもなし、福袋でもあるまいし、外国人観光客が大挙してきているわけでもないのにである。なんだろうと思って列を整理している人におうかがいすると、中にはいる人数制限をしているので、体温を計測して、ここに並んでくれという。あっちの列はなんです?と聞くと、「予約のある人」ですと。予約があっても外で並んでいるのだ。そこへマニュアル通りの笑顔で近づいてきた女性店員の方が来て、なに用なのかという。USB type-Cのポートに周辺機器を繋ぐUSB互換アタッチメントが欲しいと説明した。すると、もうあと10分ぐらいで店員と一対一で案内できるという。そんなに待つんだったらやめとくというと、アップルのサイトからも買えますから、と云う。なるほど、確かに買えるのね。買えるんだろうけれど、前にも他のアタッチメントでサイトから買ったら、全然用途が違っていたという経験があるので、現物を見て買いたかった。アップルのCOVID-19対策は万全を期しているのがわかる。わかるけれど、これは日本の店だけなのかなぁ。米国の店でもやっていたら、多分揉める奴が続出するのではないかという気がする。アメリカの対策はもはやむちゃくちゃで、トランプがその火に油を注いでいる。こんな時期にとんでもない大統領を戴いてしまったことに気がついていないアメリカの白人の共和党支持者は、国を壊し続けていることに気がついていない。
 もっとも、この国の政府もお粗末きわまりないが。

こころ Vol.57 (57)

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