ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

宝物をいただいた。

 日頃からお世話になるばかりの方から多分宝物であったのであろう「太陽」335号1989年7月号をいただいた。・・・あれ?戴いちゃって良いのかなぁ・・・。創刊26周年記念特大号としてある。特集は「昭和の記憶」である。名前を連ねる写真家が錚々たるメンバーである。秋山亮二、石川文洋、菊地俊吉、木村伊兵衛倉田精二、桑原史成、田邊順一、富山治夫土門拳、長野重二、名取洋之助、濱名浩、林忠彦深瀬昌久、福島菊次郎。写真は古くは昭和10-14年頃から始まるが、巻頭の写真には、なんと1945年8月15日の太陽が使われている。ひとつひとつの写真に市民の顔が明らかなる表情を持って映っている。だから、動きそうだ。ひとつひとつを見れば見るほど無言になっていく。見れば見るほど、人間はできるだけ真実に向き合わずに生きれば生きるほどいわゆる「幸せ」にでもなれるかのようだ。お前なんかにそんな台詞を吐かれたくないといわれるな、明確に。ウンウン。

  • 敗戦時の日本軍には全部で719万人もいたんだと書いてある。
  • 土門拳が撮った昭和12年の「衣料配給に集まる人々」は銀座の写真だという。先頭にいるおばさんがなにかを、短剣をつり下げた巡査に訴えている。列の外から割烹着のおばさんがその着物がはだけそうなおばさんに指を差してなにかを訴えている。後ろの方からは一体どうなってんの、と覗き込む娘さんがいる。その場の喧噪がきこえてきそうだ。
  • 昭和20年1月20日の銀座・山野楽器が空襲で燃えている写真には消火のためにホースを構える消防隊が映っている。空襲の時に消防隊が出動したということなんだ!そうだったのかぁ・・・。
  • 阿部定はカメラに向かってにっこりしている写真が写っている。着物の襟を抜いた着方がなにかを意味するということだろうなぁ。そういえば左隣に立っている警察と思われる丸眼鏡にちょびひげ、スーツに懐中時計の鎖を見せている男が心なしか微笑んでいるように見えるのは何でだろう。あの事件は実に昭和11年である。2.26事件のあった年であり、私の死んだ父が就職したといっていた年でもある。
  • 昭和21年11月の銀座の露店が映っている。多くの男がスーツにソフト帽を被っている。終戦から一年ちょっととはとても思えない光景だ。
  • 東京裁判の被告席の写真ではこっくりこっくり寝ている被告も含めて丸いヘッドフォーンで通訳を聴いているが、そのヘッドフォーンには「IBM」と書いてある。これははじめて知った。
  • 昭和39年に企業の職業訓練所は全国になんと1万8千ヶ所を数えたという。