ほぼ足りてまだ欲 その先

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介護の現場

 ここで書いても詮無いこと。とは云いながらやっぱり書きたい。「介護の現場は介護労働者の犠牲によって成り立っている」。これは別に精神的な奉仕精神がなくてはやっていけないといっているわけじゃない。本当に介護者に支払われる介護報酬が実に低レベルで生活の成り立たないものでしかないという事実である。この国の将来についていわれている高齢者が全人口の三分の一になるという状況をふまえて考えると、この部分をどうするのかという点は非常に重要なのは今更いうまでもない。
 介護保険が2000年に制定された時から「とにかくはじめてみなくては」と云われて肝心なところを見つめないで走ってきた。昨年見直しの時を迎え見直した。しかし、システムとしては見直しがされても、現場で実際に介護の仕事に従事している労働者の待遇は全く向上していない。むしろシステムとしてどんどん悪い立場に立たされている。各施設はその人件費を低減させなくてはやっていけない。それがどの様に実現されるかと云えば、常勤正式職員をどんどん非常勤に、そしてアルバイトにシフトしていく。社会福祉構造改革で「措置」から「契約」へ“進歩”したと思われているその構造改革は、先取りした小泉路線だったといっても良いかもしれない。現在様々な労働現場でどんどんすすめられようとしている非正式雇用の典型的な職場となっている。
 こうすることによって一体誰が儲かるのか。税負担を下げることが何よりも良いことだとする「選挙対策政治」に終始する保守反動政治にとってはこれが良いに決まっている。その上、税負担を増やさないという方針は法人税を触らなくてすむと云うことでもある。
 介護の現場の労働報酬を増やすためには税負担をシフトするしか他に方策がない。福祉先進国を見ればこれは誰の目にも明らかである。つまり、税の応能負担を行わない限りこの問題は片づかない。しかし、保守政権はこれをすすめる気はない。そうした負担能力の高い層は介護保険なんかに頼る必要がない。いくらでも介護保険以外で契約し、それを支払う能力があるからである。日本で暮らす人たちの中にそうした現場に従事する人間が絶対的に足りなくなったら経団連が打ち出しているように外国人に対する特別枠を造り導入すればよいのである。そうするとそうした労働力を海外から導入できる資本が儲けることができるという図式である。
 こんなことになってしまうしかないのだとするとどうすればいいのだろうか。政権を変えるしか方法がない。今、この時点で別に何も困らないから俺は知らない、のであればそれは政治ではない。厚労省政策をどんどんその方向で後ろから推していこうとする政策学者の存在というものも困ったものである。
 ある知り合いがアルバイトをしているデイ・サービスでは働いている人11人のうち正式雇用されている人は三人にしかならないのだという。これからこうした構成の労働現場は介護の現場に限らずどんどん増えるだろう。そういえば私がアルバイトしているところでも正式職員は3人のうちの一人だ。