ほぼ足りてまだ欲 その先

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ついに

 東京経済大学が新聞に広告を出している。「団塊世代へ。キャンパスに帰ろう。 「シニア大学院」誕生! 」というものである。今まででも当然同大学の経済研究科の修士課程では社会人学生を受け入れてきたはずだから、これから敢えて「団塊の世代」をターゲットとすると宣言する受け入れがどう違うのだろうかと思った。

「シニア大学院」では入学時に申し出れば修業年限を3年、4年に延長できるうえに、学費(年額)も経済的負担を考慮して2年分の総額を当該修業年限で除した金額となっています(参考:2006年度東京経済大学大学院学費は年額750,000円)。
 入学選考は、書類審査と出願後の課題レポートの提出、それに「口述試験」を実施して修士課程にふさわしい論理力、思考力、構成力を総合的に評価します。
 経営学研究科とコミュニケーション学研究科でも2007年4月から「シニア大学院」発足に向け現在、検討しています。

 つまり、学費は75万円x2=150万円ぽっきりだということである。今までだって修士課程、あるいは博士課程前期課程はどこでも通常2年間で、場合によっては最長4年間の在籍は可能、ということになっている。ただし、東京経済大の場合に当てはめれば、学費が75 x 4 =300万円ということになる。半額でゆっくりと論文を書いてください、という訳だ。
 多分、団塊の世代を嚆矢としてその後に続くシニア層を取り込むことによって少子化による受験生の減少を埋めきれるものではないとしても、ニーズの掘り起こしにはなるだろうということはどの大学も考えている。しかし、明快に「団塊の世代へ」と言い切ってしまったのはこの大学が私の知る限りでは初めてかと思う。
 私が学んだ大学でも社会人入試を受けて入ってきた団塊の世代学生・院生は何人もいる。しかし、特にこの世代に対して何らかの特別な取り扱い、あるいは特別なコースを開発してはいない。独立研究科と称して学部を抱えていない、時間も午後4時半の時限から始まる授業を行う研究科を数年前に作った。中には100人を超える院生を抱えている研究科すら有り、実際に仕事を抱えている、これからの仕事の展開のために参考になる研究をしてみようとする人たちのために資するものとなっているらしい。なんだか名前を聞いただけでは一体どんな分野を研究しようとしている人たちの集まりなのか見当が付かないが、それはすなわち、学際的なものであればどんなものを書いても可、とするものの様な気がする。他学部、多研究科の学生、院生にとって充分メリットがあるのはおかげで図書館が遅い時間まで利用できる様になったということがある。
 日本の学校が全部そうだとはいわないが、米国の大学に比べるとこうした研究用施設におけるサービスがまま、区役所的というか、学生オリエンティッドに考えられていないというきらいがある。これはどういうことかというと、教育、研究のためであれば可能な限り(勿論口だけではなくて)気配りをする、ということが重要だということではないかと思う。そこが、日本の大半の学校が陥っている、できるだけ金を使わずに無事に学生を送り出せば儲かる、そしてそれがなんで悪いのかと居直ってしまう、そんな姿なのではないだろうか。
 ところで、東京経済大学のこのコースで一体何人の人が応募するのか、そこが興味深い。