ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

銀行撤退

 家からJRの駅まで歩いて16-7分程の間に昔は銀行が二つに信用金庫が二つあった。その二つの銀行が合併した。それは交差点のあっちとこっちにあった。それで、こっちを閉店して、どうなるのかと思っていたらマンションになった。その近所にその銀行がATMを設置した。そこには5-6台のテリングマシーンがある。何でまたこんなところに造ったんだろうと思っていたら、なんと銀行がなくなってしまった。残ったのは地元の地味な信用金庫二つとATMがこれまで周囲にあった二ヶ所に今度の新しいのを入れて三ヶ所である。さて、じゃ、銀行はどこにあるのかといえば、東に約1km強いったところ、南にやはり同じように行ったところ。西と北はよく分からない。この近辺には郵便局が2-300m以内に三ヶ所ある。この三ヶ所も小泉おっさんのおかげさまで早晩集約されることだろう。そうなると預貯金をおろすのは銀行のATMやそれに準ずるコンビニやマックに備えられたATMということになる。誰にも助けてもらえないどころか、手数料を払っても「ありがとう」の「あ」の字もいわない機械とこれから先つきあって行かなくてはならない。
 若い人たちはどんな機械でも、マニュアルなんて見ないで、「ちょっと貸してみ」とかいってちゃっちゃと使いこなすから良いだろう。携帯メール一本書けない爺さんやばあさんは一体どうするっていうのかね。駅で切符だって、めったに電車に乗らない人には買うのは難しい。最近駅の切符売り場で上を見上げている高齢者をよく見る。一体ここからあそこに行くにはどこで乗り換えたらいいのか分からない。どこの乗り換えが一番高齢者にとって楽かも知りたい。でも駅にはそんなことを教えてくれるものは何もないのだ。みんな勝手しったる若い人ばかりである。そして、その若い人たちは、「おい、邪魔だぞ、爺」とでもいっていそうにちゃっちゃとすり抜けていくのである。
 つまりこうして私有化、効率化、省人化をどんどん進めていくと、どんどん高齢者に優しくない社会になっていく。これからどんどん高齢者が増える社会になるというのに。これと同じように、特殊出生率はどんどん下がっていく。どうして?子どもを育てるのには、やりにくい社会にどんどん移行していくからである。
 結論。政治というものは世の中の先を読んでそれに対処できる仕組みを頭を振り絞って考えるという行為をいうの。そのためにはお礼もお支払いしたって良い。しかし、儲けたいといっているやつが、人を追い落としても良いから儲けて、それで何が悪いか、という社会に飛び乗って美味しい汁を吸うためにあるのではないのだ。
 最後にヨイショしにいくために、本当に国民にその仕組みと安全性を詳しく説明もしていない牛肉を買いますよと宣言したり、いつの間にか持ち込ませないはずだった原子力空母を簡単に受け入れることになっちゃったし、私たちはいつからこんなに卑屈な暮らし方をすることになったのだろう。