ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

Flags of our Fathers

 昨日のNHKクローズアップ現代クリント・イーストウッドが出てきてこの映画の話をしていた。そうか、今日は金曜日か、というわけで日劇プラゼールにこの映画を見にいく。とにかく前回見たクリント・イーストウッドの映画、「ミリオン・ダラー・ベイビー」は最後のところの尊厳死の問題で大いに疑問を持ったので、またこの映画も彼らしい深刻で、且つ浅薄な結論なのかも知れないと行くつもりがなかったのだけれども、NHKの大宣伝(本当にあの局はコマーシャリズムを排しているというのかね?大いに疑問)のおかげでネットで切符をとって10:15からの回に出かける。なんといっても年寄りの習性として、早め、早めに到着するのであるが、そんな私たちよりも早くから来ておられる方たちがすでにいる。今日の観客は99%が50-60代であり、中にはもちろん明らかに敗戦時の記憶が確かにあるという年代も相当数来ておられる。私が座った真ん中の真ん中という列は全部埋まっていたけれども、右から60代男性、60代男性、私たち二人、70代の夫婦、70代の男性二人、60代の女性二人という構成である。通常金曜日の第一回目の上映といえば観客の8-9割は女性である。極端な場合は私の他に男性は一桁、なんていう時だってある。しかし、この映画では男女比が半々に近い。上映後のトイレだって男性用に列ができるくらいである。
 「英雄というのはあとの時代の人たちが自分たちのために創り出すものだ」ということばや、旗を立ち上げてからまだ31日間戦闘が続きあの旗を立ち上げた人たちの半数以上が死んでいること、しかし、巧い具合にこの事実を戦争資金調達のために使われてきたことなどを明確に捉えていて、勝とうが負けようが戦さ、戦闘が明白な殺し合いであってどんなに美化しようと確実に人の死を愚弄して後の社会を構築する行為なんだということを伝える。
 ハリウッドはこの映画を提示することによってなにを求めているのだろうか。このメッセージの提示によってそれを見た観客が私のように免罪符を手にした気分に浸ることで満足し、「これはよい映画だ」と思い、観客が入ることによって儲ける。これで八方丸く収まるのだろうか。死んだ人間はどうなるんだろうか。戦友を目の前で死なせ、助けることもままならず、なかんずく日本軍のなかにはなんの補給もなく餓死せざるを得なかった人たちが多くいたと聴く。英霊だなんていわれたって、現実は食い物も見つからずにぼろぼろになってしまい、一日でも祖国にいる家族が生きながらえることのできる日を稼ぐといってもらっても、現実はどう考えてもそれは時間の問題以外の何者でもなく、根本的解決の道には遠い、そんな致命的犠牲である。衛生兵は味方の命を助けようとしながらそこに襲ってきた敵を刺し殺す。片一方の手で人を殺しながら、もう一方の手で人を助けようと努力するのである。しかも、かなりの確度で虚しい努力である。
 多くの戦闘体験者はあまり戦闘現場の話をしない、という点においてはどこの従軍者も同じようである。死んだ親たちも私には中国で何をしたかについてはほとんど何もおいていかなかった。いや、書き物をおいていったけれど、人に読まれて良いと自分で思っていたことに限られているはずだ。孫の何人かは祖父が酔った時になんかしらの戦争についての話を聞いたといっているけれど、多分孫に対してはもっと戦闘そのものについては語らず、数々の体験の結果自分が戦争についてどの様に思っているのかということを抽象的に、エッセンスで伝えるだけだから孫にもほとんど伝わっていなかったのではないかと思う。こうして口をつぐんだまま、時代が過ぎて「ただの戦場での恐るべき状況下での死者」が「英雄」に創り上げられていく。私たちは相当に用心深く多面的に見ていくクセをつけていかないとあとたった10年かそこらの人生をあたら棒に振ることになりかねない。
 硫黄島の旗の英雄の造られ方とその後の話を見ながら思ったのは例の「百人・・・」も同じようなことではなかったか、ということであった。片や今では「本当に最初に立てた旗じゃないし、あそこにいた奴でもないわけだよなぁ」と分かっている。そしてもう一方も「本当はそんなことできるわけないじゃないか」とわかっている。だけれども、当時はそれが戦意高揚になるのであり、確かに国民は歓声を上げて迎えたのだ。それを現時点で正しいのか正しくないのかと論じるのであれば、当時のそんなプロパガンダを奨励した政治体制を徹底的に批判し、それに迎合したマスコミのみならずひとりひとりの国民がそれを反省する必要がある、と思う。アメリカン・ネイティブの帰還兵が「英雄」といわれながらも、その実街では相変わらずの人種偏見の中に晒される点なんかは「いずこも同じ秋の夕暮れ」である。いいように使われても、結局最後はむげなく捨てられちまう。
 米国はSelective Service System(選抜徴兵局/義務兵役サービス)を1940年に制定していて、基本的には志願兵で成り立っているが、有事の際には徴兵することが出来、そのために「18歳〜26歳のアメリカ市民、永住権保持者、米国に不法滞在している全ての男性は,SSSに登録する義務がある」とこちらのブログに書かれているけれど、私自身が原典には当たっていないので、正確度については保証できない。
 これでもか、これでもかと米軍、日本軍、双方の戦死体をまざまざと画面に映し出す。思わず目を背けるどころか、身体をよじってまで避けることになる。しかし、現実の現場はそんなことでは終わらない。どうだ、どうだ!、さぁどうだと気が狂うほど突きつけてくるだろう。多くの国では戦後になって精神医学や心理学が発達する。帰還兵のトラウマが問題になる。しかし、それはベトナム戦争以降のことで、アジア太平洋戦争ではそんなこと思いも寄らなかった。しかし、確実に人間として同じことは起きていたことだろう。それでも私たちはそこに触れずにこの60年間を過ごしてきてしまったようだ。そしてそうした意味での被害者も既にこの舞台から退場しつつある。どうしたものだろうか。残して下さいとお願いしても皆さんもうおいやなんだろうなぁ。思わず映画の終わったところで、「この中におられる従軍経験者の方でお話をお聞かせ頂ける方はおられませんか」と呼びかけたいと思ったが、多分ただ足音だけが続くだけだっただろう。時間はない。
 (061120追記 硫黄島に向かう輸送船の中に船内放送で軽いジャズがかかる。ナレーションになると、それは日本が太平洋地域に放送していた対米宣伝放送「ゼロアワー」である。「あなたが戦争に行っている間にあなたのガールフレンドは他の男とデートしているわよ」的なナレーションである。本当にあんな具合に船内に流されていたのかどうか分からないけれど、聴かれていたことには間違いがないということか。私が艦長だったら、船内放送で流すようなことはしないだろうとは思うのだけれども。)
Thunderbirdの過去ログの保存の方法が思いつかない。
21:30頃かすかに長い周期で揺れる。地震である。気象庁地震サイトで見ると震源地は三重県沖と書いてあるのに、震度が書かれているのが関東北部を中心とした関東-東北の太平洋岸だけである。なんで?