ほぼ足りてまだ欲 その先

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帰国

 中国残留孤児7名が滞在期間を終えて帰国した。来日するまで誰も家族、あるいはそれらしい人に会えるという当てもなく来日したが、滞在中に二人の人が姉弟かも知れない人と会うことができた。しかし、ヒヤリングの段階では決め手がなく、どちらもDNA鑑定となった。もちろんすぐに結果は出ないからはっきりしないまま帰国の途についたことになる(テレビのドラマ、CSIなんか見ているとすぐに結果が出るんだけれど、あれはドラマだからなんだろうか)。一人は遼寧省瀋陽市の馮秀枝(ひょう・しゅうし)さん(推定年齢60歳)で、戦後の1946年に残留日本人を収容していた奉天日本人学校で両親が養父に頼み込んで引き取られたのだそうだ(朝日新聞2006年11月27日14時06分)。
 張盛華(ちょう・せいか)さん(推定年齢61歳)は29日午前、姉の可能性がある神奈川県の女性と対面調査に臨んだ。しかし姉とは断定できず、結論はDNA鑑定に。1946年4月、中国東北部奉天市(当時)で、中国人の養父母らに引き取られ、自分が孤児であることは、1989年に長男が実家の近所の人から聞いてきて知った。なかなか孤児と認定されず、日本政府に77通の手紙を書いて訴え続けた。姉と兄がいたが日本へ帰ったらしいとの情報を持っていた(朝日新聞2006年11月29日13時13分)。
 一方、神戸新聞が12月1日の神戸地裁判決について報じている。

祖国で生きる権利 中国残留孤児 あす神戸地裁判決 神戸新聞2006/11/30
 国が早期の帰還措置を取らず、帰国後も十分な支援を怠ったとして、兵庫県内の中国残留日本人孤児65人が、一人当たり3300万円の国家賠償を求めた集団訴訟の判決が12月1日、神戸地裁で言い渡される。原告は「祖国日本で日本人らしく生きる権利」を訴えてきたが、全国15地裁で起こされた訴訟のうち最も早い大阪地裁判決では、原告の請求が棄却された。二番目の判決となる兵庫訴訟に注目が集まる。(三島大一郎)

2-3日前の朝日新聞も特集(2006年11月29日朝刊12版N p.23)を組んでいたが、上述の神戸新聞によれば

多くが日本語を話せず、高齢化と就業難などで7割以上が生活保護を受けている(2003年の厚労省による調査では回答者4094人のうち孤児世帯の61.4%が生活保護を受けている)。現在も約300人の孤児が中国に残っているとされる。

 帰国者定着促進センターや帰国者自立研修センターで、自立のための訓練はするが、いかんせんようやく日本に帰ってくる残留孤児は既に高齢。言語を習得するには難しく、職を得るのはほぼ絶望的である。一家族だけ連れてくることが認められている(他の家族を連れて帰国する時は自費負担となる)二世たちも親と行動を共にしようと来日するが言語の習得が難しく、当然のように職探しは困難を極める。三世たちは日本語を習得していくとはいえ、異文化環境における典型的なネクスト・ジェネレーションの状況に暮らしている。
 生活保護下に暮らす帰国日本人はそれまで育ててくれた養父母に会いに行こうとしても、中国に行っている間の期間の生活保護費は削減されることになっているから、現実的には自由ではない。結果的に分離家族の再生産になってしまう。確かに日本に来れば中国に暮らすよりも豊かな生活が送れるのかも知れないという幻想を抱く人もいるだろう。しかし、当初はこんなことになるとは思わずに、ただただ、自らの母国に帰りたいという気持ちはあって不思議ではない。多分、日本鬼子と差別も受けてきたに相違ない。だから養父母もなかなか日本人の子どもだと打ち明けることも少なかっただろうと思う。帰国を果たした人たちにとって、その母国に暮らすということが失意の中の生活であることは辛いものがある。
 国家賠償を求めた集団訴訟での国の主張は「あいまいな権利」とするものである。大阪判決では「具体性を欠き、権利とは認められない」と国側の主張に沿った判断を下した。原告側は当然、この判決を「孤児が奪われた人権を軽視している」と批判する。「あいまいな権利」という解釈が良く理解できない。「残されていた人を帰国できるようにしてあげた、それ以上に何がいるというのか」ということなのか。「王道楽土」のなれの果てはこんなものだ。