ほぼ足りてまだ欲 その先

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残留孤児訴訟

 昨日の続きである。テレビで裁判のニュースをみると大体まず最初に裁判官がこっちを向いていて傍聴席に座る傍聴人の背中が映っているのが見られる。そんな時、裁判長が概ね大写しになって顔が分かる。これまではそんなものを漠然と見ていたが、今回はこの加藤謙一裁判長がこれから先、あと4つのケースについても同じことを告げるんだな、とよーく見た。東京地裁としては統一した見解を出すために5つのケースを全部同じひとりの裁判長が担当するというのだろうか。いろいろな裁判官が入れ替わり立ち替わりその判断を下すという、まぁ、医療の世界でいえばセカンド・オピニオンの様なものをもとめることができるシステムにしておくべきではないのだろうか(あ、それが高裁か)。
 さて、そこでなんで原告側の主張が棄却されたのだろうか。読売の新聞記事からそこを抽出してみたらこの二点だそうだ。

 訴訟では、(1)国は孤児の早期帰国を実現させる義務があったか(2)帰国後の自立支援策は十分だったか――などが争点となった。
 判決は、まず、早期帰国を実現させる義務について、「日中国交正常化前に国が施策を実行することは不可能だった」とし、国交正常化後についても、「孤児になって26年以上がたち、中国で一定の地位を得ていた」ことを理由に、早期帰国を実現させる義務は国にはなかったと判断した。
 また、判決は、孤児が受けてきた不利益について、「国民が等しく受忍しなければならない戦争損害に含まれる」などとして、国に賠償を求めるのは適当ではないと指摘。
 帰国後の自立支援義務についても、「早期帰国を実現する義務がなかった以上、孤児が帰国時に日本語能力を失っていたことなどに国が責任を負う理由がない。孤児が生活保護を受けられることなどを考慮すると、見過ごせないほどの損害が生じているとは認められない」と結論付けた。(2007年1月30日22時29分 読売新聞)

 日中国交正常化される前には本当に実行は不可能だったのか。簡単に「まぁ、国交がなかったんだし、中国は国内を外国人には開放していなかったのだからそうだろうな」とは思ったんだけれども、実際には何もしなかったどころか戸籍の抹消までしたいたんだからマイナス方向への努力(こんなことに努力という言葉は使わないか)を国が積み重ねていたことは否定できない。
 そして26年経っていたからもうみんな暮らしが成り立っていたというのを理由にするのはそれこそ大変に余計なお世話である。そのような状態が「一定の地位」だというのだろうか。
 国はすべからく国民を保護する立場にある。ここで云う国民は法律的要件によってのみ語られる国民ではない。状況は戦争という混乱の極みの渦中において発生したものである。それを法的要件で割り切り規定することそのものがそもそも無理であり、冷淡である。加藤謙一裁判長は国には彼の地に残されてしまった国民に「帰りたかったらさっさと自分で帰ってこい」あるいは「そこに暮らせる環境をおかげさまで得ることができたんだからそれを運命として受容しろ」といっているわけである。自分がその立場に立っていたとしたら、やはり私はそれを受容できない。苦労した、苦労してようやく生き残ってここまで来た。だけれどもやっぱりできれば自分の国に帰りたい。それは不自然な考えではないだろう。
 しかし、加藤謙一裁判長の判断はそんなものには法的根拠はない、としているのである。そうである以上、言語的困難が生じていようと、それに伴って発生する就業の困難なんてものは誰の責任でもない、本人の責任であるわけで、生活保護で支えているのだからそれ以上の要求は認めないよ、というものである。ならば、根拠となる法を策定すればよいのではないだろうか。