ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

立川談志、沖縄政務次官を辞するの記

 風邪を引き込んで時間さえあれば蒲団に潜り込んで寝ているのだけれど、先日地元の図書館から借り出してきた「立川談志ひとり会第五期 第44集 権兵衛狸 第83回ひとり会より 昭和51年1月30日於東京新宿紀伊國屋ホール」を聞いていると今や誰も語らなくなってしまった、立川談志こと松岡克由沖縄政務次官の沖縄記者会見事件、政務次官辞任、自民党離党に至る事件の顛末を克明に高座で説明をしているところを聴くことができる。これはなかなか面白くて、多分このシリーズは各地の図書館にあるだろうからご興味をお持ちの方は是非一度借り出してお聞きになることをお奨めする。こうなると当時の新聞記事やら週刊誌記事やらを並べてみたくなる。談志は沖縄政務次官をたった36日ほどしかやっていないが、その間に私は彼をその当時に六本木の交差点の角にあった「Mr. James」というCountry & Westernのお店で見たことがある。そこにいたお客に酔っぱらって沖縄政務次官と書いた名刺を配っていた。私も貰ったという記憶なのだけれど、あれは一体どこに行ったんだろうか。

沖縄出身の参議院議員、喜屋武眞榮の質問に対する大臣の答弁(議事録から)

 国務大臣(植木光教君) 松岡沖繩開発庁政務次官が就任をいたしました際に、私いろいろ話し合いをいたしまして、沖繩県にも数度にわたって行っているという体験を私は聞きました。私からは沖繩県民の方々が、あの戦争において非常に大きな犠牲を払われ、その後二十七年間にわたって異民族支配のもとで長い苦悩の歴史を背負っておられる、しかもこの間に本土と沖繩との間にあらゆる面で格差が起こったという事実に照らして、われわれとしては誠心誠意沖繩の振興開発に努めるとともに、その基本的な姿勢としては沖繩県民の心を心として行政に当たっているので、その点について十分理解をし、協力をし、また補佐をしてもらいたいということを申し述べたのでございまして、今回海洋博覧会の閉会式に出席をいたしました松岡政務次官が、報道せられておりますような問題について、一体真実はどうであったのかということにつきましても、私はこの報道を見まして非常に心を痛めました。きょう午前中でございますけれども、その説明を受けたのでございます。
 ここに報じられておりますように、閉会式が終わりました後、関係の官庁等にごあいさつ回りをいたしました。その際に記者クラブにあいさつに行ったということでございまして、そしてそこでいろいろ質疑があったということでございまして、その内容につきましては、一部ニュアンスの点あるいは表現等の点につきまして、報道されております点といささか異なる点があるというような説明がございました。しかしながら、私は松岡政務次官に対しまして、こういう質疑の内容について、いやしくも世間の批判を受けるという点については厳重に注意をしてもらいたい、やはりこれからの沖繩とのかかわり合いの中で批判を受けるようでは行政の円滑な推進ができないからということを注意をいたしました。
 松岡政務次官は御承知かと存じますが、就任前に沖繩及び北方問題の委員会の理事等もしておりまして、沖繩県の実情についてもいろいろ勉強はしているという事実はございますけれども、しかしながら、やはりまだ十分な認識を得るという点については欠けるところがありまして、これから沖繩の問題に誠意をもって取り組んでもらうためにはさらに勉強をしていただきますとともに、沖繩県民の心を心とする行政をやってもらわなければならないという点について、私は強く注意をいたしたのでございます。
 いろいろ御批判を受けましたことにつきましては、私自身もまことに遺憾に存じております。ひとつ意欲をもって沖繩県づくりのために努力をするということを、本日私に政務次官は約束をしてくれましたので、今後その努力がどのようにせられるものであるかということにつきまして見守っていただきたいと存ずるのでございます。私も十分配慮をしつつ、沖繩県の振興開発のために開発庁を挙げて取り組んでまいりますことをお誓いを申し上げましてお答えにさしていただきたいと存じます。

本人の説明

 「権兵衛狸」のまくらで語っている要旨はざっとこんな案配。

(例によって「うーん」と云いながら高座にあがる。)大分評判がよろしいようで。ん〜、喧嘩すればやられちゃうし、政務次官になればひと月で首になっちゃうし、呆れたね。なんで、こうなったのか当人良くわからねぇ。
 最初のうちは一生懸命云っていたんだよ、そしたらね「といっている声も何となく自信がなさそうである」って新聞が書いた。やったことそんなに間違っちゃいないだろうけれどねぇ・・(拍手、ぱらぱら)これが新聞に出ると「拍手は三人しかなかった」ってね。
 沖縄へ行ってね、閉会式に行ってね、記者会見があるっていうからいったんだよ、二日酔いでね、それをいっちゃいけないんだよね。「前の日の疲労が残り、精神的に不安定であった」ってね。サングラスかけていったんだよね、芸人はね、サイン攻めが怖いからね。
 「べらんめぇ調でまくし立てた」なんて書いてあるんだけれど、今時べらんめぇ調なんてないでしょ。これは東京弁なんだよね。自慢すべき会話なんだけれど、ダメなんだろうね。それがいけないらしい。サングラスかけてね。
 いきなり質問が来てね、「沖縄の失業率知っていますか」なんて。わかるわけがないよねぇ。聞いてやろうかと思ったんだけれど、「憲法110条知ってるか」ってね。わかんねぇと思うよ、ねぇんだからそんなものは。基地は何%あるか知っているかったってしらねぇよねぇ。文七元結の下げを教えてくれってんならねぇ、教えてやるんだけれどね。あれは下げはないんだけれど。だから勉強に来てるってんだよね。三平さんみたいに、「ばぁ〜ん、たいへんなんすから、ほんとうにぃ」ってやってれば良かったんだけれども、俺はそんなこといわない。「よそぉ〜じゃねぇか、こんなこたぁ、なんだよこれは、なんの会なんだ、これは、やめ、やめ」これだ、俺のこったから。出てけといったかどうかなんてのは問題じゃないんだ、やめよ〜っていったのは同じだよ。何やってもだめなものはダメ。
 落語時間なんて書いてあったけれどね、終いに「談志は」って新聞は呼び捨てだよ。
 喜屋武さんから決算委員会で質問があった。植木大臣に「私が出て弁明しましょうか」っていったら君は呼ばれてないと云われた。出ない方がよいですか、出た方が良いですかと聞いたら、君は出ない方が良いっていわれたんだよ。じゃ、出るわけに行かないから。だから寄席にいっちゃったんだよ、身体あいているから。仕事に。6時40-50分頃には決算委員会が終わってるのよ。ボクは7時半に出ているんだから時間的な問題はないわね。したら今度は出たから怪しからんという。大臣は「私は答弁には出られないとはいったけれど、決算に出るなとは云っていない」ってんだね。新聞記者がなんで決算に出ないのに寄席に出たんだって聞くんだよ。そんなの法に触れていないっていえば良かったんだよ。その時に石原がいってきたよ、法に触れていないって云えばいいのにって。
 問題が兼業問題になっちゃったんだよね。沖縄の問題から。俺なんかはこっちからあっちの話を持っていくところに意味があるんだよね。どこの誰が俺が大臣なんかになるなんて思っているってんだよ。そんな奴はいないだろ?いやそうでもないんだよな、「見損なった」って手紙が来たりするしね。(笑)君はそれで良いって、海部っていう副官房長官が良いっていうんだよ。この23日から26日まで悩んだなんだよ。誰も来てくれない。来たのは円鏡と毒蝮だけだよ。毒蝮なんて「大変だ、大変だ」って云っているだけだよ。こっちの特長を生かすのかと思ったらそうじゃないっていうの。そんな時に我慢しちゃえよという声もたくさんあったけれどねぇ。そりゃ一票は大事だと思うよ。だけれども辞職して自民党から離れたんだよ。今参議院の中は(与野党の)差が8票だよ。俺があっちに入れちゃうと差は7票、3人くらい衆議院に行くって云っているから、その差は4票になっちゃうんだ。そのうちに声がかかるよ、「あの居残りに声をかけよう」ってんで「いのどぉ〜ん!」ってね。大衆芸能の芸人が入ってくるのが面白くないという雰囲気を感じるね。そんなところだよ。え?なんでテレビから閉め出されちゃったのか?そうだよねぇ、あれはわかんねぇなぁ。
 振り上げる拳が降りるような舞台が整ったとしたらどうですかと質問する奴がいるんだ、で、そんなことは物理的には無理だろうっていったら、それを「まだ未練がある」って書いた奴がいるんだよね。

 風邪薬を飲んではどっと眠るというサイクルになってしまうと今が朝なんだか夜なんだか、眼が覚めた時には俄に判別がつかないのである。尤も眼が覚めるとなんかを喰うという条件反射になっている。蒲団の中で取りだめたpodcastを片っ端から聞く。
 ドクター・ペッパーの話をするとみんなすぐにあんなまずいものはなかったというんだけれど、私は好きだったということをこの際白状する。